「?好き」を自認する条件
ここ数日ひたすら iTunes で以て所持している CD を手近にあるものからエンコードしまくってるのですが、まだ終わりそうにありません。んでもって、処理が終わった CD は順不同でボール箱につめているのですが、その量と未だ残っている量とを見比べてざっと推し量るに、僕は CD を 6 - 700 枚ほど所持しているようだということがわかった。エンコードが完了すれば正確な数字がわかるのだけど…。もう疲れてきました…。
そんなこんなでだらだらやってるもんだから作業がなかなか進まなくて、終いには「極貧に苦しめられているというのに、なんでこんなにも買ってしまったのか!」と苛々してきたのですが、それは措くとして、萩原健太さんが以前にレコード会社の人事担当者から聞いたという話を書いていた( 2 年ぐらい前の "PC Japan" 誌上の連載だったと思う。もちろんブツがないので確認のしようがないのだけど…)ことを思い出しました。
その担当者は自身も無類の音楽好きで、だからこそそういう業界に入ったという方であり、そういう方がいうには、最近面接を受けに来る学生は「音楽が好きだから」という志望動機を当然述べるわけだけど「じゃぁ、CD あるいはレコードを何枚持ってるの?」と質問すると 250 枚だか 500 枚だかちょっと記憶が曖昧だけどまぁその程度の枚数を答える者が多くて、「いまはその程度の枚数を所持してるだけで「音楽好き」を自認でき、また、周りもそのように扱うのだろう。僕らの頃は云々」と呆れたというようなことを語ったとのこと。
そのことについて萩原健太さんがどうコメントしてたかをまったく憶えてないのでアレなのですが、量をたくさん持っていればいるほど見識に優れているなんてことがあるわけではないのは当然であるにしても、確かにあるジャンルを好きだというには当然それなりの物量的な前提がなければならないだろうという常識的(?)な感覚に賛同しないわけではなく、だからこそ僕はそういう意味においては自分を「音楽好き」であるとは思わないのですが、しかしそういう趣味と経済にまつわるお話は大変に不毛な結果になりがちなのでごちゃごちゃ書く気はあんまりなくて、ともあれ僕はなんにつけ中途半端な半可通にしかなれないのだなぁとイヤんなっちゃったというお話でした。というか、もっと論ずるべき点がたくさんあるけど面倒なので、この文章はこれ以上は発展しません。