Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

「フィードに全文を掲載するべきか否か」という、偽の問題

なんか数ヶ月ごとに再燃してる感のある「フィードに全文を掲載するべきか否か問題」だが、RSS フィードへの全文掲載の設定デフォルト値を「全文を掲載する」にするか否かを問うアンケートにより何度目かの盛り上がりを見せている昨今、全文に対するアクセスを、従来の HTML のみにこだわらず、もっと容易にするべきではないかということついては「「RSSに要約や全文を入れるとアクセスしてくれなくなるから嫌だ」という感覚はアクセス増には逆効果」や「はてなダイアリーのRSSデフォルト設定を、「全文入れない」に投票する、本能にしたがった感覚的な人が多いんだなぁ」で解決済の問題であり、あとは otsune さんとともに

感覚的な問題以外で「RSSには要約文しか載せたく無い」という合理的な理由はあるのだろうか?(広告やカウンターの話はもう分かっていて反論済みなので、それ以外で)

とつぶやく他はないのだし、そもそも全文を掲載するべきか否かではなく、読み手がそれを選択し得る仕組みを作ることが必要ではないかということについては、"404 Blog Not Found:Let Readers decide How RSS gets sent" にて述べられている通り、読み手に選択肢をもたせるべく、リクエストに応じて要約なり全文なりを送信するといった方法を考えるべきであり、以上の otsune さん、弾さんの指摘するところを踏まえると「フィードに全文を掲載するべきか否か」なんて、なにをいまさら……的な問題なのだけど、かといって「ただただし@「ただのにっき」のエンジニアいとをかし/Tech総研:「みんなの意見」は正しいとは限らない」なるエントリが、「これからはWeb2.0だ、集団知だ、というわけで、「みんなの意見」は案外正しいなんて本が売れているようですが、それが成立するのは意見を求める側に十分な思慮がある場合に限られるなぁと思」いながら、「最速インターフェース研究会 :: 例えばもしも明日ボクシングのやりすぎで網膜剥離で失明した時にはてなダイアリのデフォルトが要約配信だったら残りの人生をどう過ごせばいいのだ」というエントリを評価すると同時に

RSSフィードは、それを配信する側にはたいしたメリットはありません。ほとんど100%、購読する側にのみメリットのあるサービスです。ですから、配信する側は読み手が最大限の利益を受け取れるように配慮すべきです。

などと述べるのを見ると、ややガッカリした気分を隠せないのは、フィードに全文を掲載することは、書き手にとってメリットがあるからそうするのであって、それは上掲の otsune さんのエントリでも述べられているし、そもそもひとは文章を書くことでどういう効果を期待しているのだろうかということを考えると、Web で文章を発表するに際し、いまはたまたま HTML が主流になっているだけで、オレオレフォーマットなテキストでもって表現してもいいわけで、しかしそんなことを誰もしないのは当然読まれなくなるからというだけの理由であり、要するに、一般的な Web ブラウザで読むひと、lynxw3m のようなブラウザで読むひと、音声ブラウザで読むひと、RSS リーダですべてを完結したいひと、それぞれに対して、できるだけ広く自分の文章を読んでもらおうと思うならば、Web 標準やアクセシビリティに配慮したり、フィードに全文を掲載したりして、より幅広い層に対するアクセシビリティを確保するべきなのであり、RSS であるとか HTML であるとか、はたまたオレオレフォーマットであるとかは、単なる手法に過ぎず、もっといえば、RSS の出自である "summary" という言葉に拘泥することなく、事態を建設的に観察するならば、フィードとはいまや、HTML で書かれた「本物の」コンテンツを補強するものであるというよりもむしろ、HTML で書かれた「普通の」Web ページとなんら変わることのない、文章を広く読ませるための手段のひとつであり、そうであってみればフィードとは、全文を掲載せず要約のみの Blog エントリなどというものが存在し得ないのと同様に、もとより全文が掲載されていて当たりまえ、あるいは弾さんが提唱するような方法でもって読み手の選択により要約なり全文なりを取得できるようにするべきものなのであり、「フィードに全文を掲載するべきか否か」という問いがそもそも偽の問題なのだ。