『嫌老社会』
『嫌老社会 老いを拒絶する時代』は、古来の「老い」に対する雑学や、従来の「老い」感を更新していこうというあたりについてはわりとまぁ面白いんだけど、第一章「シニアデバイド」がほんとムカツクんだよね。たとえば p.12 のこんな箇所。
団塊の世代は、巨大な統計学的カタマリとしてひとくくりに論じられがちだが、倍率をあげて眺めれば、これは均質なカタマリどころではない。
(中略)
つまり、団塊世代のなかには、資産を持った階層と、持たない階層とがあるのであって、これを一様に論じては、周囲のためにも、団塊世代自身のためにもならない。
そんなの当たり前だろ!とかいうと「釣れた!」とかいわれるんだろうなぁとおもうと、本当にげんなりする。団塊の世代が一枚岩じゃなかったとして、だからなんなんだ。団塊の世代の話なんて興味ないし、読みたくもない。団塊の世代についてなんかいいたいのなら、タイトルにでもそう書いておけよ!そしたら触れずに済むのだから。
んでもって、さらに酷いのが p.20 のこんな箇所。
日本社会全体の「希望格差社会」(山田昌弘)、希望のもてる階層と希望を喪失した階層とへの分裂社会への移行を、膨大な高齢層が集中的に表現することになるわけで……(後略)
この文を読んだときは、ほんと頭に血が昇ったよ。今後、「希望格差社会」を、高齢化し、格差が固定することになる団塊の世代が集中的に体現することになるなんて、よくもいけしゃぁしゃぁといえたもんだよ。恥を知れ。
老い先短いやつが格差という結果を得たことと、人生これからの若者が平等な機会が得られず、希望を持てない話とをいっしょくたにして「希望格差」とか、ほんとふざけんな!そういう自己中心的な考えが、団塊の世代が心底救いようがないがないと見なされる原因なのだということを認識して欲しい。
まぁ、本を読んでて久々にこんなにも感情が高ぶったという意味においては、貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました、という感じではある。
- 長沼 行太郎
- ソフトバンククリエイティブ
- 2006-09-16
- ¥ 735
- Book