Kentaro Kuribayashi's blog

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『たまらなく、アーベイン』というタイトルの謎

『なんとなく、クリスタル』の33年後を描いた新作『33年後のなんとなく、クリスタル』が刊行されたかと思いきや、あの『たまらなく、アーベイン』が『33年後〜』の色違いのような装丁でもって復刊された、しかも中公文庫版でなぜか改変された『僕だけの東京ドライブ』(僕はこれを読んだ)を廃し、オリジナルのタイトルでもって、という事態は、田中康夫さんの小説を愛好する者にとって大きな驚きだった。

ところで、「アーベイン」とはなんなのか?以下の書影に見られる、菊地成孔さんによる推薦文をご覧頂きたい。

『たまらなく、アーベイン』書影

「アーバン」を「アーベイン」と発音した唯一の書

田中康夫ファンを公言し、パーソナリティをつとめるTBS RADIO 954 kHz │ 菊地成孔の粋な夜電波でも、『33年後〜』の刊行記念に著者を呼んだ菊地成孔さんは、「アーベイン」という言葉遣いに対して、繰り返し以下のような感嘆を漏らしている。

「たまらなくアーベイン」の「アーベイン」って何だろうと思ったら、アーバン、urban(都市の 都会の)の事なんですよ。そこも驚き以外の何者でもない(笑)。「アーバン」の事をあの頃「アーベイン」と言ってた段階で田中康夫は完全に越えてたなと。

TBS RADIO 954 kHz │ 菊地成孔の粋な夜電波 - 放送後記 第9回(2011年6月12日)  菊地成孔さん収録を終えて語る。

それはまた、僕を始めとする多くの田中康夫ファンの共通の感想でもあるだろう。

ところで、「アーベイン」とは、urbanという英単語の読み方違いなのだろうか。辞書を引いてみよう。

Pronunciation: /ˈəːb(ə)n/

(snip)

adjective

  1. In, relating to, or characteristic of a town or city: the urban population

(snip)

Early 17th century: from Latin urbanus, from urbs, urb- 'city'.

urban - definition of urban in English from the Oxford dictionary

対するに、urbaneという単語もまた存在する。その単語は、以下のように説明されている。

Pronunciation: /əːˈbeɪn/

(snip)

adjective

(Of a person, especially a man) courteous and refined in manner: he is charming and urbane a sophisticated, urbane man

(snip)

Mid 16th century (in the sense 'urban'): from French urbain or Latin urbanus (see urban).

urbane - definition of urbane in English from the Oxford dictionary

意味的にほとんど似たような語釈がされているが、発音は日本語的に表記すれば「アーベイン」だし、フランス語のurbainを経由して英語に入ってきたという記述が目を引くところ。

ちなみに、手元の辞書(『英語語義語源辞典』(三省堂))を引くと、以下の様な語釈が行われている。

urban:

都市の、都市に住む。(その他)都市特有の、都会風の

urbane:

(形式ばった語)都会風の、洗練された、礼儀正しい、粋な

残念ながらフランス語の辞書が手元にないため、フランス語におけるurbainの意味を知ることができない。ちなみに、『たまらなく、アーベイン』の「アーベイン」は、フランス語のurbainから直接とっているのかも?という疑問を持ったが、urbain - Wiktionaryによると、カタカナで表記すると「ユルバン」に近い発音であるため、それはなさそうである。

これまでわかった事実をもとに見てみると、そのふたつの単語がネイティブにとって正確にはどのようなイメージをもたらすかまではわからないまでも、urbaneすなわちアーベインの方がよりフォーマルで、そのフランス語を経由する出自により、気取ったニュアンスをともなうように思われる。

また、上に引用した文例を見るに、urbanがどちらかというと客観的な事態を形容する語であるのに対して、urbaneの方はもう少し主観の入った、話し手の好印象を示す語でもあるように思われる。

そうであってみれば、田中康夫さんがなぜurban(アーバン)ではなくurbane(アーベイン)を選択したかは、実際のところは不明ではあるものの、『たまらなく、アーベイン』はもとより、彼の作品の雰囲気や、散々いわれる「公家っぽいしゃべり方」からして、芸術的な水準において適切な言葉の選択であったように思われる。

たまらなく、アーベイン

たまらなく、アーベイン