Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2015年8月18日

今日の天気は「曇時々晴」、最高気温は33℃。

今朝も20分のメディテーション。あまりうまくいかない。メディテーションを実際にやってみて、感情や考え(=妄想)というのは気づくといくらでも湧いて出てくる、しかもとりとめがないということを実感した。集中し、気づき続けることは難しい。ずいぶんと壁が高く思える。

通勤時に考え事。何かを自覚しつつあえてやる、みたいな態度があるが、それはそれで有用な場合もあるし、自覚がどんどん無限後退するからありえないという批判もあり得るが、後者の場合、いくらでも細分化できるというだけで結局はシンプルな感情(たとえば悪意とか)に帰着する、そしてそのことが気づかれないということがあり得るな、そうであれば、あえてやるなどといったところで、結局は同じことだろうと思った。「シラケつつノる」とか「ネタからベタへ」みたいな話。

ネットで「教養 = あるクラスタにおいて広く共有された知識」という話が出ていて思ったこと。普通に考えて、教養というのは共有されているかどうかというよりは、それを知っていることへの社会的な威信が存在する(ことになっている)知識の塊のことをいうだろう。

まあでも、そういう「社会的な威信」などはもはや存在しないし、むりやりあることにしなくたっていいという考えもまた悪かないとは思うから、これからの社会にとって有用な知識を教育するというのは、それはそれで合理的だしそれ自体有用だろうと思う。

「経営者の美学」という言葉を目にして、「美的価値判断の基準」を「美学」というのはなぜなんだろうかと、丸亀製麺で鬼おろしうどんを食べながら考えたり。類例として、広く「価値判断の基準」に過ぎないことを「哲学」と呼ぶというのもある。

Web Designingが、9月号からリニューアルされていた。EC特集だったので面白そうだと思って買って読んでみた。経済産業省の報告書を解説した特集冒頭の記事に、なるほどと思うなど。

夕食は中目黒のFive Star Cafeへ。パクチーとパパイヤのサラダ、大根餅を卵と炒めた謎の料理、チキンライス。

『マインドフルネス 気づきの瞑想』の続きを読む。読んでいるうちに眠くなってきて、少し仮眠。起床後に再開、読了。

ところで、最近マインドフルネスがどうのといってるのは「グーグルも導入!」みたいな文脈で興味持ったわけじゃなくて(それ自体は知ってたけど)、『仏教思想のゼロポイント』という本が面白かったから、そこから広がってきたのである。まあ、別になんでもいいだろうけど。

というわけで、今日もまた就寝前にメディテーションをする。