Kentaro Kuribayashi's blog

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2016年4月28日

「ふわっとした」という形容がある。使用例としては、「ふわっとした考え」とか「ふわっとした発言」など。具体性がなく曖昧なこと、ぐらいの意味だろう。ある人物のみに帰属するだけでなく、たとえば「MTGをしたが結論が出ずにふわっとしておわった」という使い方もできる。

どういう言葉でもそうだが、この言葉もまた使用する文脈によって評価が変わるべきものだろう。たとえば、具体的にすぐに動き出すアクションを決めるべきときに、なんとなく方向感だけがあって実際には何をやればいいかわからないみたいなことは困るし、そういうのはよくない意味において「ふわっと」している。

一方で、考えを広げたい時や、そもそも一般的あるいは抽象的に物事を捉えたい時には、最初から細かい具体性に立ち入るよりも、言葉のみで構成された議論をする必要があることもある。そういう時には、ある意味では「ふわっと」物事をとらえたり構築したりしなければ、そもそもの目的にそぐわない。

そのように、可能性を論理的に列挙するフェーズと、具体的なアクションを決めるべきフェーズとでは、自ずから考え方のモードも変えなければならない。重要なのは、いま何を考えるべきなのかという目的と、それを達成するにはどうしたらいいかということである。そして、そういうメタな認識こそ、ひとは「ふわっと」させがちだ。