Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2020年1月23日

今日もひとと会う予定を2件ほど入れておしゃべりなど。世の中にはおもしろいことをやっているひとがいるものだなあ。自分ももっとやっていこうと思ったりする。また、部長職以上の360度評価の結果が帰ってきたのだが、相対的に高評価をいただいているのはありがたいものの、自分のやるべきこと、やりたいことからすると全然なので、もっと結果を残していかないとだめだなあなどと、反省しきりである。評価されているうちが花なので、そう思っていただけている間に、ちゃんとしていきたいとあらためて思う。

自分はどっちかというとバランスをとろうとするタイプだと思っていて、いろんなひとの意見をきいて論点をまとめ、いいところをうまいこと取り入れて物事を動かしていこうという指向が強くあると思っている。それがいいこともあるんだろうけど、そのために自分のやりたいことややるべきことにフォーカスできていない結果にもなっていると思っていて、もっと空気を読み捨てて生きていく必要もあろうと思っている。自分勝手にやりたいからということではなく、そのほうが結果としてもっといい成果につながるだろうという意味で。と書いておいて、「自分勝手にやりたいからということではなく、そのほうが結果としてもっといい成果につながるだろうという意味で」というメタな思考が一瞬で出てくること自体が、バランスをとろうとする考え方なんだよな〜とおもったりする。

それで最近は、あえて自分が根源的には何をしたいのか?ということを考えているところ。根源的な欲望に向き合うということ。といってすぐに、そういう「根源」を求めること自体の思想的・スタイル的なダサさみたいなことも思ったりもするのだが、それもまたメタ思考だ。10代の頃はあんまりそういう感じじゃなくて、ストレートに生意気な感じだったと思うのだけど、20歳ぐらいから急にそんな感じになって今に至る、という気がしている。それはともかく、いったんそういうのをおいておいて、根源的な欲望に向き合おう、そもそもそれは何なのかを内省によって発見しなければならない、という感じ。

先日、坪内祐三さんが亡くなって衝撃を受けたのだったが、「圧倒的な知識、酒席での武勇伝、そして全力疾走――追悼・坪内祐三と過ごした日々」という記事を読むと、ただならぬ感じの飲みっぷりが語られており、思いを致した。坪内さんと対談本を何冊も出している、僕があるいは一番影響を受けた書き手かもしれない福田和也さんが、最近の本では、かつてのパリの定宿にお金がなくて泊まれないから別のところに泊まっているみたいなことを書いていて驚いたのだが、自分が若い頃に影響をおおいに受けたそのぐらいの年代の人々が、還暦前後になってそういう感じになっていくのは、自分自身、先を思っていまから身につまされるという気持ちがする。

キャリアにおける選択について考えを述べよというお題で文章を書く依頼をいただき、引き受けることにしたのだが、自分のキャリアなどというものがあったとして、しかしそこには「選択」などという行為はまったくなくて、その都度になしくずしだったり、単に楽しそうなところに飛び込んだだけだったり、ともあれ複数の候補を比較検討して選ぶなどということはまったくなかったのだが、そういうことを書くと「生存バイアス」などといわれるのだろうなあと思うのだけれども、そもそも自分がこの先もキャリアにおいて「生存」できるなどと思えたことがまったくないのである。

Kindleで『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―』、『世界哲学史1 ──古代I 知恵から愛知へ (ちくま新書)』を購入。前者はドミニク・チェンさんの新刊で、いつもながらに期待が高まる感じの本。後者は筑摩書房が創立80周年を記念して刊行を始めたシリーズで、責任編集の顔ぶれがすごい。読むのが楽しみだ。寝しなにドミニク本を読み始め、いったん入眠したが途中で目が覚めて眠れなくなったので、また読み始め、結局読了した。本当に素晴らしい本。こういう本を書きたい人生であった。