Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2020年8月3日

朝からミーティングなどなど。

猪瀬直樹さんの『公〈おおやけ〉 日本国・意思決定のマネジメントを問う (NewsPicksパブリッシング)』を読む。先日、あるきっかけで西武グループのことを思い出して、Kに話したりなどしていたこともあってか、書店でこの本が目について読んでみようと思って買ったのだった。私の時間に通底する公の時間に文芸作品の評価をおくことについて、それだけではなかろうと思うこともないではないが、公に対する心の持ち方、言動がなくてはもういい年の者としてどうかという気持ちもあり、最近そういうことも考えるようになった。そういう意味でも、あらためて気持ちを持たせてくれた本ではあった。

夕食はアジの開き。ちょっと焼きすぎて皮目を焦がしてしまった。

昨日の日記でも少し書いたが、Twitterにもうちょっと書いたので、転載する。

写真を撮るに際して、誰しもある種の偏りがあるのだろうと思うのだけど、それは例えば、被写体の面白さを引き出すようなクローズアップであったり、全体を俯瞰するような引いた広角でのパンフォーカスであったり、その中間であったりするわけだ。それは基本的には視覚的な好みによるのだろう。僕は、コンポジションやオブジェクトのアレンジメントをいかに収めるかという観点で撮ることが多い。被写体がなんであるかというのは、価値判断を左右する度合いが少ない。それは、フォーカスするよりも視野を広くしてバランスを取る思考スタイルであることの視覚的な現れなのだと思う。

思考スタイルが視覚的な好みにも現れると広くいえるのかはわからないが、自分については両者が自覚なくぴったり一致していたということに気づいたのは驚きだった。裏返すと、フォーカスすることが相対的に苦手で、その面を今後のばしていかないとと思って、大学院で研究を始めているということもある。自分が写真を撮ること自体にどういう意義があるのかはわからないが、想定していた意義の外に、精神分析的ともいえるような発見があったことが面白く思えた。逆に人物を被写体にバチバチにセッションする感じで写真を撮り続けたら、思考スタイルが変わったりするのだろうか。それはそれで試してみたいとも思う。

その後、『情報生産者になる (ちくま新書)』を読了。