Kentaro Kuribayashi's blog

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「嫌韓感情」再び

DAC 日記で さらに僕の不明をつっこんでいただいている のですが、なんか、僕は見当違いのことを書いているのかしら と書いたのは、まさにその 距離感 を自分が見誤っているのではないか、と思ってのことだったのです。とりあえず僕が興味を表明したのは「嫌韓感情」そのものというよりもむしろ、そういう感情を信じて疑わない人々の在りかたについてであって、ややもすると、差別の実態を軽視していると受け取られてもしかたがないのかもしれないなぁ、と反省しました。有益なリソース を教えていただいたので、読ませていただきたいと思います。

そういう意味で僕はこの問題について書いたのですが、indigoworks 6 月 23 日の記述 はちょっと、う?ん、と思うところが多々見受けられたのですこし述べてみたいと思います。

彼らの「民族性」が嫌いなんですね とでごさんが思われるのはわからなくもないですけど、ひとたび集団になると、なんでああ反日感情むき出しにしてくる というのは、「民族性」を云々するにはやや精確さに欠いているのではないかと思います。というのは、そりゃ、そういうひとたちもいるでしょうけど、彼らと「韓国人」とはイコールじゃないでしょう。映画「ライジング・サン」を観て「日本人はキモい」っていうのと変わらないと思いますが。また、「あなたがたは日本と仲良くしたいの? したくないの? どっちなの?」と問いたくなってしまう とのことですが、「仲良くする」という発想と外交の発想とはまったく異なるものなのではないでしょうか。あえて単純化していえば、「韓国」と「反日感情をむき出しにしてくる集団」とは別のものなのであって、韓国が外交の場において「過去の歴史」を持ち出すのは 被害者意識 でもなんでもなくて、単にそういいさえすれえば日本がなんでも譲歩しちゃうからですよ。

2 ちゃんの韓国朝鮮絡みは真剣に取り合わないほうがいいのでは、と釘を刺しておきたい気分 とのことですが、もちろんまともに取り合っていっているのではなく、2 ちゃんでの荒れ方はネット独特の異常なもの であることを承知しつつも、「韓国・朝鮮人は差別してもよい」という共通了解がある種の人々の間でなんらかのきっかけで成立しうるほどにそのような見解が 2 ちゃんねらの方々(主に 10?20 代だと思いますが)に浸透しているのかとびっくりしている、ということをいってるのです。この点については、世の人々がどれだけ性根が腐っているのか、僕が不勉強なせいで知らないというだけの話なのかもしれませんが。

「日本が朝鮮を植民地化するために、朝鮮人を未開の地の野蛮人として国民に叩き込ませることが、当時の日本の国策だった。福沢諭吉を初めとする知識人たちが新聞でそれを煽った」 という 社会化教師 の発言を紹介しておられるわけですが、小説の登場人物の背景を語る意味でおっしゃっているのなら、なるほど、と思いますけど、嫌韓感情、というかもっと広く、かつて日本が殖民支配していた国々の人々に対して差別的な感情が残っていることを正当化するためであれば、「それが何か?」といわざるを得ません。事実としてそういうひとがいることは承知しますが、現在に生きていて、まだそのように思い込めるとしたら、彼/彼女は単に馬鹿です。

在日朝鮮人と、朝鮮半島の国々のそれぞれの国民とを区別していないように読める書き方をしていたのは僕の不明でした。反省。歴史についてももっと勉強しなければならないと思います。

なんかすっごく長くなっちゃったのでとっととまとめますが、

  • 反日感情むき出しの韓国人と、「韓国人」の「民族性」とは異なる
  • 韓国が外交でウザいことをいってくるのは単なる外交上の戦略なのであって、日本はそれに対して有力な対策を考えればよいというだけの話
  • 過去の日本の政策や価値観を現在の観点から批判するのは無意味だが、かといってそれが現在に存在することの正当化にはならないでしょ

…てな感じです。もっといろいろ細かい話もしたいですが、粘着するみたいでアレなのでやめ。ややきつい言葉遣いがあったかもしれませんが、そこはそれ、「議論」ですのでお見逃しくださいね。