Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2015年9月10日

昨夜、3時過ぎまでAppleの発表を見ていたこともあり、今朝はなかなか起きられなかった。メディテーションも眠くて全然集中できず。

インターン生がきているので、昼は彼らとランチに。若い人々には色んな可能性があってよいものだなあと思う。

帰宅して、夕食を作成。ポテサラ、にゅうめん、きゅうりの浅漬け、納豆かけ豆腐、昨晩の残りの秋刀魚の炊き込みご飯。

村上春樹さんの新刊『職業としての小説家』を読む。ずいぶん率直にいろんなことについて書いていること、小説家という職業の良さについて明確に述べていることに、面白みを感じる。もちろん、いつもの通り、「僕は思うのだけど」「個人的に」という調子なのだけど、ちょっと踏み込んで書いている感じがする。

村上春樹さんの本は、少なく見積もっても2/3ぐらい読んでいると思う。好きかどうかといわれると、それはどうなんだろうとは思うけど。本をあまり読まない(月にせいぜい数冊とかの)ひとのことは知らないが、それなりの数の本を読んでいると、好きかどうかだけで本を読んだりはしない(とはいえ、単なる必要性とか教養のためとかで読むわけでもないし、もちろん好きな書き手はいるけど)ので、そういう感覚ではない。

たとえば、なんらかの知識に関する羅列があるとして、その中で自分の知っていることのみをことさら取り上げるという行為を、自分ではしたくないと感じる。自分の経験上、多くの場合は、知らないことをノイズとして(無意識のうちに)スルーした結果そうなるということだと思っていて、そういう無自覚な行為が好きではないということだ。

いろんなことに対してそういう感覚を持つことがよくあって、それはつまりスタイリッシュであるということなのだけど、それは単に「スタイルがある」という端的な事実であり、特にポジティブな意味ではない。それに、「スタイル」というとなんかポジティブな感じだけど、単に意固地だということであるかもしれない。しかし、自分が大切に思っている領域では、絶対にダサいことをしたくないと思う。

ただまあ、そういうのは分野によることで、たとえばわかりやすいところでは、自分自身の見た目とか着るものについてはとてもじゃないけどスタイルがあるとはいえない、単純に自堕落な態度であるし、そういうのがよくないと思うこともあるけれども、全部についてスタイルを持ち、かつ、それを維持するほど気力があるわけでもないので、しかたない。多かれ少なかれ、たいていのひとがそうだろうと思う。