Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2015年12月14日

昨夜は寝付きが悪かったのと、仕事の夢が断続的に続いてあれこれ脳が働いてる感じで、眠りが浅い感じ。

昼食は桜丘カフェ。ポークソテーを食べる。

今日も1日面談をしていたが、ようやくほぼ終わり。まあ、このあとがフィードバックをまとめなくてはならないので、大変なわけだけど。

スパイスガーデンで夕食。チキンカレーを食べる。

帰宅して、SlackのAPIドキュメントや、RubyやGoのクライアントライブラリを眺めたり。うーむ。なんか自分であれこれ書きたくなってくる感じ。

『エリック・エヴァンスのドメイン駆動設計』を読み始める。

宝くじのように期待値が計算できるものについては、その期待値の低さから「宝くじを買うのは馬鹿」みたいな話になるけど、たかだか数ヶ月に一度、多くても数万程度浪費するぐらいならば、馬鹿呼ばわりされるほどでもなかろうと思う。多くの人々は、たとえば、服なんて寒さをしのげればいいという観点からいえば無意味に高いものを普通に買っているが、その期待リターンがいくらかなんて考えないだろう。それと同じ。

生計にとって行き過ぎた浪費は明らかに問題だが、普通に暮らしている分には宝くじなどよりも期待値が計算し難い行為はたくさんあって(たとえば、忘年会シーズンの昨今だが、忘年会の期待リターンっていくら?)、宝くじよりそちらを見直す方がよいことは多いだろう。

つまり、全体としてはなかなか定量化できないことの方が多いのに、定量化できる一部のことをことさらに取り上げると、全体の判断を誤るだろうなあと思う。もちろん、できるところからするというのは必要だけど、そこだけにとらわれてもしかたがない。宝くじの件に限らず、いろんなことに当てはまるんじゃないかと思った。

ってのはまあ、個々人にとっての話であって、制度を作る側とかビジネスをする側の発想としては、そういう個々人にとってはたいしたことでなくても集めたら膨大になるというのをいかにうまいことやるかって話なんだろうけど。