Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2018年6月10日

昨日に引き続き、本読み。『海辺の生と死 (中公文庫)』を読み終え、『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書)』を読み終える。さらに、古民芸もりたで購入した『The JIKU』を眺めたあと、『社会学 - わたしと世間 (中公新書 2484)』へ。

こんなことを考える。

イベントドリブンで問題に対処して行くうちに漸進的によくなっていくという方法は歴史的に支持し得るが、解決策が過剰なバックラッシュばかりになると機能しなくなってしまう。昨今の社会のあちこちで見られるのは、そのようなことだろう。

とすれば、こうあるべきだ、こうあるのがよいのだというビジョンからの逆算もまた必要とされるだろう。しかし、そのような逆算=ビジョンと現実のギャップ分析は難しい。ギャップ認識とアクションは出せても、ではなぜいまが他ではなくいまあるそのものなのかという問いがあるから。その問いについて考えないと、せっかくの分析も、現状に対する愚痴のようになってしまう。

そもそもいまが他ではないそのものであるのには何らかの理由なり筋道なりがある。ギャップを見るだけでは足りないのである。だからまずはそれを理解する必要がある。さらにその行く末を変えたければ、問題は理由や筋道にあるのだから、それらへの評価を変えるとか、誤認をあらためるとか、なんらかの認識的な更新を生じさせることを要する。すなわち、来し方・行く末を、望ましい方向に変化させなければならない。