Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

Webそのものを好きになること

英語ブログに注力するために、しばらくここを放置してたりするわけですが、「Web の何が好きなのかについて - pur*log」を読んで思ったことをちょっと。

Webオタを自称する人に、Webの何が好きなのか聞いてみたい。
私にとってWebは道具とか手段でしかなくて、「好きになる対象」にならないんだよな。好きになるのはWebを通じてであったものとか人なんだよなあ。私は。

mayunezu petit space

という問いににこたえて曰く。

これはまったくおっしゃるとおりで、Web を通じて出会ったもの、人が楽しい。
では、「好きになる対象」かどうかという点について。手段として好きか嫌いかという話だと、例えば「電話は好きか」「メールは好きか」「手紙は好きか」という手段の種類同士の比較をすれば適切なのかもしれません。

「手段」でしかないものが「好きになる対象」になり得るかという問いなので、そういう比較が適切なのだろうけど、しかし、個人的にはもっと違うふうに思ったりもしてます。僕ならば、「映画は好きか」「小説は好きか」「音楽は好きか」と比較したいところ。Webは確かに「手段」でもあるけど、それ以上のものだから。
僕にとっては、元の疑問は、以下のような、非常に不自然な文章に見える。

私にとって映画や音楽や小説は道具とか手段でしかなくて、「好きになる対象」にならないんだよな。好きになるのは映画や音楽や小説を通じてであったものとか人なんだよなあ。私は。

このようにいいかえてみれば、映画や音楽や小説それ自体を好きであるように、Webそれ自体を好きであるという感覚を、逆説的な形ではあるにせよ、ご理解いただけるのではないかと思います。世界中で、映画や音楽や小説の新作が次々に発表されることと、Webのサービスが次々に発表されることとの間に、なんの違いがあるのだろう。Webオタってのは、そのような感覚を持ってWebを楽しんでいるひとたちのことをいいます。
この件については、以前にも少し書いていたりします。

まずは「新サービス」という、なんだか業務的な響きのする言葉で呼ぶのをやめることだ。僕らはいま、大好きなアーティストの新作を期待するのと同様に、Webが素敵な新作をリリースするのを、常に、激しく心待ちにしている。

映画・音楽・文学のように不可欠なもの、あるいは Web の新作を心待ちにすること - antipop