Kentaro Kuribayashi's blog

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田中久美子『記号と再帰 - 記号論の形式・プログラムの必然』を読んで

昨年、刊行されるや話題となっていた『記号と再帰 - 記号論の形式・プログラムの必然』を、ずっと読みたいと思ってはいたもののとりかかれないでいたのですが、先日書店をぶらぶらしている時に、なんとなく気が向いたので、購入して読んでみました。

記号と再帰: 記号論の形式・プログラムの必然

記号と再帰: 記号論の形式・プログラムの必然

記号論とは、何らかを指し示す記号、その対象、それらが織りなす系(具体的には人間の使用する言語など)の性質について体系的に解き明かそうという営みである。大きく分けて、ソシュールを代表とする二元論、パースを代表とする三元論とがあり、両者を対比する試みはあるものの、記号論の学的な基礎理論さえ確立されていない状況にあるというのが本書の前提。

シニフィアン」がラベルを指すことは両者共通だが、ソシュールにおけるシニフィエが、パースにおける「解釈項」に該当するという、二元論/三元論における対応関係の従来的指摘に対して、関数型言語オブジェクト指向言語の対応関係を見ることにより、それはパースにおける直接対象に対応し、記号呼び出しの連鎖(ソシュール「言語には差異しかない」)をパースの解釈項に対応させることで、二元論と三元論とを「指示子」「内容」「使用」がなす系として統一できると仮説する。

第4章では、内容と使用とを融合し、区別がつかないものとしてしまう「再帰」についての考察が導入される。

factorial = λi.if (iszero i) then 1 else i * factorial(i - 1)

という、記号の再帰的定義においては、factorialという記号の内容は、上記に見られる通り、その具体的使用によって決定される。形式性の高い言語にしてからがそうである以上、再帰性の高い自然言語においてはなおさらであり、結局、二元論/三元論の区別自体が無効であり、元々等価なものであったことが示される。ここまでが本書の導入。

記号内容の分類について述べる第2部後半、第8章では、コンピュータによる制作物という、本来上「アウラ」をまといようもないものについて、あるクラスのインスタンスのうちから優れたそれ(是態)をどのようにして抽出し得るかという困難な問題について語られている。ただし本章では、その困難さを指摘するにとどまっているかに思われる。

しかしそこでは「再帰は汎記号主義の無根拠な記号世界において、根拠を対象に有せしめる一つの手段である」と述べられ、第3部で以降は系の再帰として深化していく「再帰」についての考察によって、本書サブタイトル中の「プログラムの必然」を解明していくという、著者のおそらくは直接のモチベーションが、さらにその先を向いているのだろう興味深い問題が示されている。

正直いって、実際読み進めている間は、当のモチベーションがよくわからなくなって、この本は何について書かれているんだろうと不可解な気持ちを持ったりもしたのだけど、多分まあ、そういうところに面白みを見出すのもありなんじゃないかなと思ったり。