Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

竹内正浩『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』

最近、また自転車に乗るようになったので、ポタリングの前知識にでもというわけで、ちょうど刊行されたこの本を買って読んだ。そのことはさておいても、非常に面白かった。

東京といえば「坂の街」とよくいわれる(たとえば『新訂版 タモリのTOKYO坂道美学入門』なんて本が出るほどに。というか、新版がKindle化されている!)ほどに、東京の地形は起伏に富んでおり、大学進学のために田舎から上京してきた頃は、その坂道の多さに、関東平野という名前にふさわしくないような、なにやら意外な思いを感じたものだ。

思えば、幼児の頃にいまはなき保谷市に住んでいたのだが、武蔵野台地に位置するその土地もゆるやかな起伏からなり、親の自転車にのせられ、両端を木立がしめる坂道を保育園へ向かっておりていく様を思い出す。この本は、その武蔵野台地の東端を成す、都心部から、西は落合や、少し飛んで二子玉川あたりまでを扱う。

この本が明らかにするのは、まず第一には、そうした「坂の街」という現在の東京が、かつては「崖の街」であったという事実だ。東京には「〜坂」という名前のついた坂が多いが、かつては急な崖とそのふもとであり、坂と名がつくまでには人工的な造設が関与しているという。目白台のあたりを述べた箇所で、著者はこう述べる。

東京の坂道は、それが踏み跡程度のものであっても、ほとんどが人為的に造られたものだ。それは、東京の坂道の原風景が、ゆるやかな坂ではなく、崖だったからである。崖をならしたり、段を刻んだりすることによって、いわば、牙をむく崖を飼いならして、坂道へと変えていった歴史がある。

(本書80-81ページより)

麻布や六本木は、いまでもその起伏に往時が偲ばれる場所であるが、驚くべきことに、大正から昭和にかけて、大雨によって数十人から百人ものひとびとが死亡するような崩落事故を起こしたような、非常に危険な崖の街であった。東京が現在あるような姿になったのは、そう遠い昔のことではないのである。

それにしても本書で異様に目を引くのは、堤康次郎という名前である。『ミカドの肖像 (小学館文庫)』を読んでその活躍(というと語弊があるが……)ぶりについては知ってしたつもりであったが、戦後の華族の土地を買い占めていった記述が主のその本では知れなかった、戦前の「箱根土地」時代の、関東大震災から昭和恐慌にかけての土地買収ぶりが、顔をのぞかせる。この本では、明治以降の華族・勲臣・実業家の栄枯盛衰とともに、数えることもままならないほど、堤の暗躍ぶりが顔をのぞかせる。

家督を付いだ文麿は、その後もこの屋敷に居住したが、大正11年(1922)5月、近衛邸の大部分は売却され、分譲地「近衛町」として、東京土地住宅によって売り出される(東京土地住宅破綻後の大正14年以降、堤康次郎の箱根土地が分譲事業を継長)。

(本書148ページより)

広大な敷地を誇った島津邸だったが、昭和2年(1927)の金融恐慌で島津家の財政が打撃を受けると、敷地の大部分は売却され、昭和3年、堤康次郎の箱根土地が「島津山」として分譲を開始している。

(本書159ページより)

大正に入ると、大久保家は広大な屋敷を手放し、城南の大地主だった半田合名社に売却するが、昭和15年(1940)には、箱根土地が、「芝大久保山」の名で分譲している。

(本書171ページより)

これ以上引用を続けるのはよすが、本書の数十箇所にわたる堤康次郎の登場により、こういう記述にあらわされるような事態が、東京のあちらこちらで起こっていたことがわかる。その堤について本書はたいして紙幅を割いてはいない。最後の方に、もうしわけ程度の簡単な記述をおいているだけだ。土地を買い漁った堤の、彼自身の邸宅について述べたあと、本書はこう続ける。

堤康次郎といえば、暗部にばかり焦点を当てられがちだが、かつては違った。「大邸宅も堤君の手によって散り散りばらばらに分割されて、中流階級の百坪、百五十坪の住宅と化して行く、箱根土地そのものの評判は別としても、堤君邸宅開放の社会政策家として中流階級の恩人」(『中外商業新報』昭和3年5月4日付)といったぐあいに、富豪・華族批判の風潮のなか、時代の寵児としてもてはやされて一面があったことも銘記すべきであろう。

(本書222ページより)

維新後、皇族や元大名、勲功のあった者たちが時には数万坪におよぶような大邸宅をかまえていた中で、関東大震災や昭和恐慌、折りからの大衆化社会の波に乗って次々に土地を買収し、分譲というかたちで大衆(とはいってもそれは、ずいぶんお金持ちの世界ではあっただろうが)に土地を開放していったという面もあった堤康次郎の動きは、本書の通奏低音をなしていて興味深い。

華族や富豪たちが「山」に大邸宅を築いていた歴史を述べる後半は、しかし淡々とした記述が続くばかりで、いささか退屈であることは否めない。とはいえ、東京の土地の歴史が、それだけ淡々とした記述を招いてしまうほどに情報量が豊富で、それらひとつひとつをとってみても探求するに余りあるものであることの証左でもあろうと思うと、今後、あれこれと興味は尽きないところだ。小難しいことはおいても、単純に東京散歩がより愉しくなる一冊だろう。