Kentaro Kuribayashi's blog

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映画「ハンナ・アーレント」

映画「ハンナ・アーレント」を観た。この映画の存在を知った時には、よくもまあアーレントが映画になったものだと思ったのだったが、想像していたハイデガーとの関係を描くといったものとは違ってアイヒマン裁判時の騒動についてのこの物語は、面白いものだった。

アーレントによるアイヒマン裁判の評価については、『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』を読んではいないものの、概要はあらかじめ知っていた。ただ、それがこの映画に描かれているほどに、非常にセンセーショナルに受け止められたことまでは知らなかったので、まずはその意味で面白かった。

物語は、アルゼンチンに潜伏していたナチ戦犯のアドルフ・アイヒマンが、イスラエルの諜報機関モサドに捕らえられるところから始まる。イスラエルにおいて裁判が開かれることになったことを知ったハンナ・アーレントは、ニューヨーク・タイムズの派遣記者として裁判の傍聴記事を書くことになる。

ユダヤ人大量殺害の執行に大きく関わった人物が、どれほどの悪人であるかという予期は、裁判においておおいに裏切られることになる。彼は、単に命令に従ったに過ぎないと繰り返し述べる、いわば小役人の粋を出ない「凡庸な」人間に過ぎなかった(劇中、実際のアイヒマン裁判の映像がカットインされるのだけど、アイヒマンのくちびるをひねって不信感を示す態度は、かなりイライラさせられるものであったw)。そうした凡庸さがあれほどの悪を成しうることの不思議に、アーレントは全体主義の真の恐ろしさを見出す。

しかし、そうした主張はアイヒマン、ひいてはナチへの擁護として受け取られることになり、世界的センセーションを巻き起こすことになる。掲載誌へはもちろん、アーレント自身に対しても続々と非難が寄せられる。ハンス・ヨナスクルト・ブレーメンフェルトといった盟友たちからすら絶交される。

そうした、自らの信念と真実を曲げない、強く聡明な女性としてのアーレントを描いていることはもちろん感銘を受けるのだが、映画全編にわたって、講義中ですらも煙草をかかせないところや、夫のハインリッヒ・ブリュッヒャーとの愛情を描く数々の場面など、アーレントのプライベートな側面がやたら興味深いもので、その点は映画ならではの楽しみだと思う(まあ、アーレント役のハルバラ・スコヴァよりもアーレントそのひと自身のほうが美人だと思うけど)。

ともあれ、アーレントの著作に再び取り組んでみたいと思わされたという意味においても、観てよかったなあと思う。

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告