2015年9月1日
天気悪し。しばらく前からこんなだけど、まだ続くみたい。涼しいのはいいけど。
朝のメディテーション、30分やったがあまりうまくいかない。昨日のような集中に至らない。何が悪いんだろうなあ。まあ、焦らず続けるしかない。
仕事、ちょっと時間できたので新しいことに取り組んでみる。覚えなきゃならないことがたくさんあって、大変だなあと思う。理屈はわかっていてもなかなか手が動かないのは、日頃の修練の問題。それを措いて必要な職務に取り組んでいるのだからしかたがなくはあるけれども、もうちょっと時間をうまく使っていろいろやっていかないとマズいなあとも思う。
帰宅して、夕食を作っている時に、キャベツの千切りの浅漬けを作るためにタッパーにいれてぶんぶん振っていたら、注意がそれて蓋が開く方向に振ってしまい、キャベツをぶちまけてしまった。千切りキャベツが台所中に散乱し、しばし絶望。その後も注意力が散漫で、作成した料理もいまいち味が決まらなかった。
そんなわけで、気分が優れないので早めに夜のメディテーション。1時間近くやっていたが、途中、寝ていた気もする。ビール2本飲んでたし。しかしそれはそれとして、気分が晴れたのでよかった。メディテーション最高。
立場が異なれば、同じことでも違うように見えてくる。ある立場のひとは別の立場のことをわからないという論難は、その「別の立場」からすれば同じようにもいえることはあり得るだろうと思う。そして、それぞれにまたさらに別の立場が存在する。間立場的認識を同時に持つのは難しい。それぞれに、ある立場の思考パタンを内面化することが合理的だからだ。
さらには、そうした立場も常に一定であるわけではなく、時間とともに移り変わっていくのだから、そんなにはっきりとした起点があるわけでもなく、そうであればなお難しいだろうと思う。
内面を見つめる(この表現、ダサくてやだな)と、淡々とした書きぶりになり、ともすれば暗い感じに読まれ得る文体になっている気もするが、特にそのようなことはなく、単に素のテンションがこういうものだということなのだろうと思う。
本をたくさん読んでいるけど、どうやって時間をとっているのか、速読をしているのか、といった内容の質問をされることがあるが、僕が読んでいる本は「速読」をできるようなものはほとんどないので速読はしていないし、端的に時間をかけているというだけの話だと思う。まあ、比較的読むのは早いほうだろうけれども、何倍も早いわけじゃない。せいぜい1.x倍ぐらいだろう。