今野真二『正書法のない日本語』
心内のなにごとかを表現するのに、自分なら日本語の書き言葉を使うわけだけど、なんらかの理由により日本語を使えない場合にどんな感じがするかということで、このブログでも日記を英語混じりで書いたりしている(ほんとはもっと全然使えない、いちから勉強する必要のある言語を使いたいところだが)。
僕の場合はわざわざそんなことをする必要があるが、たとえば亡命して全然別の言語を使う国に逃れたひとが否応なくそのような「感じ」を体験せざるを得ないことは大いにあるだろうし、大昔の書き言葉を持たなかった頃の日本人も、漢字による文章を見、それを真似てなにかしら書こうとした時に同じような「感じ」を得たかもしれない。
この本は、万葉集以降、既に上記したような問題については試行錯誤を終えた日本語が、漢語(=中国語)、和語、平仮名・片仮名といった文字の中で、どのように表記されてきたのかを歴史的に述べている。漢語をそのまま使うこともあれば、漢字の字義を蝶番のようにして和語と漢語をくっつけることもある。明治時代だって、いまから見ればカオスというような表記っぷりであり、その頃の日本語の方が豊穣なものであったようにすら思える。
そう思うと、冒頭の「感じ」を知るのには、なにも外国語を使うまでもなく、日本語でだって感じ取れることもあるのかもしれないと思う。
- 作者: 今野真二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/04/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 序章 日本語には正書法がない
- 第1章 漢字で日本語を書く
- 第2章 仮名で日本語を書く
- 第3章 仮名と漢字とで日本語を書く
- 第4章 明治期の日本語表記の多様性
- 第5章 現代日本語の表記
- あとがき
今野真二『正書法のない日本語』を読む。
— あんちぽちゃん (@kentaro) January 17, 2016