Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2017年4月8日

11時頃まで寝ていた。起きて準備をして、世田谷美術館で行われている「花森安治の仕事 - デザインする手、編集長の眼」を見に行く。花森安治自体にそれほど興味があるわけではないのだが、展示は非常に素晴らしかった。

花森もスタッフとして関わっていた大政翼賛会の、節約のための合理性をうたうポスターを眺めていて、革新官僚たちの合理性への思惑がこういう形で社会に影響を与えることとなったことと、戦後の「暮しの手帖」的な合理性というのは地続きなんじゃないかという思いを持った。一方で、それと花森のスタイリングへの傾倒というのがどういう理屈で両立していたのかはよくわからない。

「暮しの手帖」の表紙が並べられているのを眺めていると、花森の絵が使われずに写真を用いることの多い第2期のものが、めちゃめちゃ洗練されたデザインで、ずっといいと思う。品のいい、真に尾形光琳的な琳派というか。それを見ていて、金井久美子さんの、金井美恵子さんの本への装丁を思い出す。

渋谷へ出て、書店で『ゲンロン0 観光客の哲学』を書い、ルノワールで読む。「観光客の哲学」というのが、著者が近いものといいつつ批判するマルチチュード論よりどのようによりよいものなのかあまりよくわからないのだが、ローティ的な文脈において読むならば、それはそれとして賛同はできる。ただ、それが観光産業の称揚とどう違うのかもわからないのだが。

続けて、『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』を読む。