Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2020年4月5日

昼ごはんに何を作ろうかなあと思ってGoogleに「いい感じのランチのメニューを教えて」と問いかけたらちらし寿司を提案された。えっ、そんな食材ないよと思って怯んだのだが、よく考えるとちらし寿司って酢飯にサラダをまぶしたものだよなあと思い直して、冷蔵庫にある野菜を使って作ることにした。とはいえ寿司なので魚がないといけないだろうというわけで、そのうちサラダに使うつもりで買ってあったおつまみサーモンを使う。結果的に、ちらし寿司かどうかはわからないが、わりと美味しく出来た。

この辺の発想は、玉村豊男さんの『料理の四面体 (中公文庫)』を読んだことによる発想。その本では、サラダも刺し身も、生物に味付けをして食べるという意味で同じものという整理がされている。乱暴な整理だという声もあったというが、しかしカルパッチョなんてまさにサラダだろうし。

その後、『選択と誘導の認知科学 (認知科学のススメ)』の続きを読んだり、注文していたのが届いた『リベラル・ユートピアという希望』所収の「トロツキーと野生の蘭」を読んだり、「そろそろ全体を見た話が聞きたい2 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing」を読んだり。このあたりはけっこう関連していて、認知科学的に解明されてきたバイアスに自覚的でないと適切な選択はできないし、ローティ的なリベラリズムこそいま必要とされていることだろうし、そのような考えを持って安宅さんのようにポジティブに未来の可能性を開いていくことが必要なのだろう。

NHKプラスでNHKスペシャルの「デジタル VS リアル第1回フェイクに奪われる“私”」を観ていたのだが、ちょうど日経新聞で「デマ退治」が不安増幅 買い占め騒動ツイッター分析という記事が数時間前にアップされていたのを読んだのもあり、非常に面白い。フェイクに対して思い思いにファクトをぶつけたところでそれは逆効果になってしまう。人々の悪意に対して人々の善意で対抗するのではなく、情報を公開し、判断過程の透明性を担保することで、政府、メディア、専門家の信頼をあらためて醸成していくことが、遠回りであるとはいえ、本質的な解決に至るのだろう。

いろいろやりつつ南アフリカのHelter Skelterというピノ・ノワール100%のワインを飲んでいたのだが、うまく作られたある種のガメのワインのような、キャンディー感。こういうのも、気分が上がるし悪くない。