2012年は「多言語ブログ」がアツい!!1
こんにちは。私はantipopです。あなたの名前は?
ここ数年、技術者界隈でAdvent Calendarというものが流行っていて、毎年12月になると一定のお題に沿った日記バトンみたいな、その意味ではわりと昔懐かしい感じのするイベントが行われていて、技術的なことに関しては僕もどっかで書こうと思っているのですが、Advent Calendar自体は別に技術的なことに限る必要もないじゃんってんでHatena::Staff Advent Calendar 2011つって社内の参加者を募ったところ、めでたく開催の運びと相成ったのでこうして書き始めてみたものの、完全に勢いだけで言い出しただけで書くことを決めていなくて困ったりしたので、酒を飲みながら自由奔放に筆を滑らせていきたいと思います。
というわけでこんばんは!!1 みなさん日記書いてますか。僕は日記を書くのが大好きで、ウェブがなかった頃からノートに日記を書いていたのですが、インターネット時代に変遷した今、形は違えども日記を書く毎日です。紙に日記を書いていた中学生〜大学生の頃の日記は、ご多分に漏れず中二病的人材資源だったので、いま読み返すと大変に赤面、というか、身悶えする感じに醗酵が進んでおり、大変に香ばしい仕上がりとなっています。しかし、当時は当時でいろいろと面白いことについて考えていたなあとか、いまもやってることがあんまり変わらなかったりとかたくさん本を読んでいたなーとか、当時つきあってた女の子たちは今何してんだろうなあとか、いろいろ面白い感じで、こつこつ書いていてよかったなあと思います。が、読み返したことはないので、本当にそうなのかどうかはわかりません……。
先日某氏と、つまらないことにこだわって怒っているひとがいることについて話していたら、彼がこういいました。
自分の人生をコンテンツ化しきれていないからそんなことを思うんだ。完全にコンテンツ化していれば、なんだって笑い飛ばせる心の余裕を持てるはずだ。
人生をコンテンツ化すること、できてますか?他者をコンテンツ化することは、そりゃ簡単でしょう。Twitterなどでおかしな言動を行なっているものをウォッチし、笑いものにし、消費し、捨て去るだけのことなのだから。自分は何も傷つかない。つまり、なにも成長しない。なにも変わらない。我々は、たとえそれが「若気の至り」であったり「黒歴史」であったとしても、日記を書くことによって、そのように自分をコンテンツ化し、自らを深化させていく必要がある。私はそのようにしてこれまでの半生を生きてきたのだ。
- 2000年以前: 紙のノートに日記を書いた板黒歴史時代
- 2001年: DreamWeaverで日記サイトを作成(プロバイダの無料スペース。黒歴史時代)
- 2002年中頃: W3C原理主義者見習いになり、手書きでHTMLを書くのがかっこいいと思うようになった黒歴史時代
- 2002年後半: やっぱ手書きが怠くなってきたので、PHPというのを使えば楽になると知って勉強し始め、簡単な日記スクリプトを書いた黒歴史時代
- 2002年末: MySQLってのを使ったらいいと聞いたので、ちょうどブログという言葉がで始めの頃だったので自分用のブログシステムを作った黒歴史時代
- 2003年2月: はてなダイアリーがリリースされたので、そこでも日記を書き始めた(これ自体は黒歴史じゃないけど、書いてた中身は黒歴史フォルダに格納)
- 2003年: 松浦亜弥さんのファンになったので、あやや日記を開始した黒歴史時代
- 2004年頃?: 自作スクリプトがぐだぐだになってきたので、メインのブログをMovable Typeに変えた
- 2006年頃?: はてなダイアリーに集約したらいいじゃんという感じになって全部移行した
- 2006年頃: 英語ブログを書きたくなってVoxを使ったりしてあれこれ迷走した黒歴史時代
- しかし依然としてメインははてなダイアリー
- 2007年移行: Twitter/Facebookなどが出てきてさらにあちこちに書き始める
- 2010年: はてなダイアリーに複数ブログ機能ができたので、ブログとは別に日記を書くためにサブ日記を作る
- 2011年: 満を持してはてなブログが登場したので、すべての日記的リソースを集約することにした ← イマココ
というわけで、ウェブで日記を書く環境はオーサリングツール → 手書き → 自作スクリプト → ブログツールと、刻一刻と変化をし続け、さらに、この頃はTwitter/Facebookなどのストリーム系サービスの隆盛により、ますます日記的リソースが分散する傾向にあります。しかし、2011年末、はてなブログのリリースによって、まったき新時代が到来しました!!1すべての日記的リソースたちが、10年の時を経て、いままたひとつになるときがやってきました。そう、はてなブログさえあれば、あらゆることを、ひとつの場所に書くことが今や私達には可能です。
さらに唐突に思えるかもしれませんが、2012年は、ひとつのブログに、さらに多言語で書くことが確実に流行ります。私は鰻たちのざわめきにより、その予兆を早期に感じていたため、はてなブログがリリースされるやいなや、いまみなさんがご覧になっているこのブログにおいて、「ひとつのブログで多言語ブログ」を実践しています。ただし、私は日本語と英語しか書けないので、多言語といっても現状は2言語でしかありませんが、現在イタリア語を学習しているので、近いうちにここは、少なくとも3言語によるブログになる予定です。
僕だけが「2012年は多言語ブログがくる!!1」といって信じようとしない無神論者のみなさんだって、下記に引用する@miyagawaさんの、blockquoteに後光を発せしめるようなご発言を見れば、驚き、畏怖を覚えて「なるほどそのとおりだ!2012年は多言語ブログがくる!自分もさっそくウルドゥー語などを学習して多言語ブログを始めよう!はてなブログで!」という気持ちになるに違いありません。
There's Google Translate if you like to read my thoughts in whichever language, and the blog posts will mostly be a short link blog posts so there won't be a huge barrier, and I will post in whichever appropriate language considering which audience will be interested, and maybe in both when I feel necessary.
http://bulknews.typepad.com/blog/2011/11/one-blog.html より
私は、こんなことをいうとあれかもしれませんが、システムの精緻化は職業的な義務であるとは思っているけれども、実際にはシステムが現実的な要件を完全に満たせるとは考えません。どれだけシステムが複雑になったところで、「抽象化の罠」というものがあり、どこかでほころびが生じます。我々はいま、システムに依存し、日本語でもなんでもいいけどなにかひとつの言語に固執するよりもむしろ、自らが多言語による記述を可能な状態に自助努力することにより、より広い世界に対して + より繊細な対象者へ向けて情報発信を行えます。たとえば、世界で30人ぐらいのひとに読んでもらえばいいかなーという内容であれば、世界で30人ぐらいのひとしか理解できない言語で書けばいいわけです。世界で10億人ぐらいの〜と思えば、それは中国語で書けばいい。それができてこそ我々は、真の自由を手にできます。ちょよんごさんがわかりやすく書いている。
日本語でブログ書くと日本語話者にしか伝わらないし、英語でブログ書くと英語話者にしか伝わらないし、写真でブログ書くと、写真読める人にしか伝わないので便利
http://twitter.com/cho45/status/142259252310970368 より
多言語はともかくとして、ブログ一般についていえば、確かに書く場所の選択肢は広がりました。ソーシャルサービスによってひととのつながりも増えました。コミュニケーションは飛躍的に増大し、速く、頻繁になっています。しかし我々は何か大切なことを見失ってはいないでしょうか。人々とのコミュニケーションにばかり忙しくなり、自分自身を省みることを忘れてはいないか。自分を愛することのできないひとはひとを愛することはできないといいます。日記を書くこと、それは内にこもるようでいて、メビウスの輪のようにいつの間にか広い世界 = インターネットの只中に我が身を晒すこと。その真剣勝負こそが、我々の人格を陶冶するのではないか。いま、私はそんなことを考えています。
というわけで、次はid:attsumiさんの番です!!1きっと面白いことを書いてくださるだろうので、前もって大爆笑しています!!1 こんにちは。