Kentaro Kuribayashi's blog

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『設計の設計』を読む #1 - 設計プロセスの継続について

柄沢祐輔、田中浩也、藤村龍至、ドミニク・チェン、松川昌平各氏による『設計の設計』について、読みながら感想を書いていくかもしれないし、これでよすかもしれない、ともあれ、その第1回目。

メタボリズムの代表作とされる中銀カプセルタワービルは、「それぞれの部屋の独立性が著しく高く、部屋(カプセル)ごとに交換することも、技術的には可能な設計になってい」たが「実際には、2010年に至るまで一度も交換されたことはな」かった。なぜか。

建築は、たとえばアジャイル開発のようなものとも違って、流動的な集合知をやはりどこかで切断する、つまり無限のバージョン・アップを止めてしまう行為です。それは、メタボリズムの理論でつくられた建築が、実際には更新されなかったという問題ともパラレルです。

『設計の設計』p.14 柄沢祐輔氏の発言より

また、「メタボリズムもカプセルをつくる工場の生産ラインまで確保しておかなくてはいけなかった」(同p.15 藤村龍至氏の発言より)のだが、そうではなかったがために、結局は「理念」(同上)に留まるものであった。

柄沢氏は、上記鼎談に続く論考「非線形のフォームと新しい空間の表象」において、様々な美術・建築上の運動の起こった20世紀初頭を「ミンコフスキー時空」に示される「空間の表象」(アンリ・ルフェーブル)の大変革があった時代とし、それは現在における表現の根幹をなすものだとする。一方、20世紀初頭のそれに代わる、現代における「空間の表象」は、「スモールワールド・ネットワーク」であるとされる。



この新しい「空間の表象」によって生み出された建築的実践の例として、著者は自身のvilla kanousanを挙げる。

房総の別荘地に佇む週末住宅。キューブ4つを2層に積み重ね、キューブの壁と天井と床の交点にさらに小さなキューブを挿入し、そのキューブが空間の閾を抉り取っている。キューブの傾きの角度はアルゴリズムによって制御され、多様性を持ちながらも秩序だった空間が生み出された。この二律背反の共存がアルゴリズム建築の特徴である。キューブの回転角には敷地の傾斜角度を入力し、周囲の自然風景を取り込んでいる。

柄沢祐輔建築設計事務所 _ works _ villa kanousan

スモールワールド・ネットワークに見られる、ノード同士が、ある時は近接性に基づくクラスタを成しながら、またある時は互いに遠く離れた距離をショートカットしながら織り成すネットワーク、それは現にWebのハイパーリンク構造に見られるものだが、そうしたものと近似する空間が「コンティニュアス・シチュエーション」と呼ばれ、建築に導入されている。

この「スモールワールド・ネットワーク」という新しい「空間の表象」を建築化すること。それは20世紀の初頭における近代建築の運動がさまざまな実験を展開し、新しい空間のあり方を模索していったように、今日の時代と技術的な状況におけるまったく新しい建築空間を模索することである。

同p.36

さて、ここで少し話をつなげたい。建築がいつか物理的な存在として実環境へ「切断」(同p.10)されざるを得ないものだとしても、実際にそのようなことが可能なのかどうかは知らないが、建築が「無限のバージョン・アップを止めてしま」わなければ、あるいはもっと積極的に、時間の経過を折り込んではいたものの、時間そのものについてはただ流れるに任せただけに見えるメタボリズムに、むりやり時間の流れを持ち込んでみたらどうなるのか。

完成された住居にひとが住み始める。当初は「それぞれの空間がヴォイドの小口によって多様な場所としての差異を与えられ、それぞれの空間はまたヴォイドを介して個別に他の異んある空間と接続し(中略)個別に差異を与えられたノードがネットワークしつつ多様なショートカットを生み出」(同p.35 - 36)す、新たな「美学」(同p.34)を体現してもいよう建築は、生活に侵食され、その「ヴォイド」を埋められていき、そのネットワークはずたずたに寸断され、見る影もなくなってしまうかもしれない。なぜか。

アルゴリズムは「手続き(= 関数)」と「データ構造(= 変数)」からなりますが、BIMはプロセスの結果として「変数の特定の値」しか保存されないということです。「変数の特定な値」だけを見てその関数を類推するのが難しいように、図面だけを見てその設計プロセスを類推するには高度な専門性が要求されます。

同p.16 松川昌平氏の発言より

たとえば僕がその住居の施主だとして、さて素晴しい建築ができあがった。しかし「専門性」を持たない者としては、結果がどれほど新たな「美学」を体現していようとも、「設計プロセス」が類推できない以上、その後に必ず続くことになる生活というプロセスをどう組み立てるべきかがそこから導き出せないのであるから、無闇に家具を並べたてたり、本やCDの置き場所がないからといって目につくあらゆる空間に詰め込んだりして、当初の空間を台無しにしてしまうかもしれない。というか、きっとそうするだろう。

では「設計プロセス」をやめなかったらどうなるのか。「空間の表象」であれ、ましてや「ツリー」であれ「セミラティス」(クリストファー・アレグザンダー)であれ、「無限のバージョン・アップを止めてしま」った「プロセスの結果として」の「変数の特定の値」 = 静的な建築ではなく、アルゴリズムの適用そのものを継続すること。というか、そもそもにしてからがメタボリズムとは、現実的には「カプセルをつくる工場の生産ラインまで確保しておかな」かったがために「理念」で終わったものであったにしても、「手続き」を保存し、プロセスの適用を継続するという試みではなかったのだろうか。それにしても、どのようにしてプロセスは継続し得るのだろうか。

第二回に続く。

設計の設計

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