Kentaro Kuribayashi's blog

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書評『藤村龍至 × 山崎亮対談集 コミュニケーションのアーキテクチャを設計する』

刊行を楽しみにしていた『藤村龍至 × 山崎亮対談集 コミュニケーションのアーキテクチャを設計する』を読んだ。

藤村龍至氏の仕事については、僕のブログでも何度か話題にしたことがある(下記リンク参照)ので、山崎亮氏について、少し前提を共有しておこう。

山崎亮氏はstudio-L主催の「コミュニティデザイナー」。耳慣れない職名だが、広く知られたいいかたをすると「まちづくり」や「村おこし」など地域社会のコミュニティ活性化により、問題解決を行うという仕事を多く担当している。近年、「情熱大陸」に出演(YouTubeで検索すると観れたりする。必見)したり、著書がたてつづけに刊行されるなど、一般にもその活躍が知られるようになってきた。その山崎氏が、建築家の藤村龍至氏と対談することで、「コミュニティデザイン」というものをより一般的な形で我々に示してくれるのが、この本。

Webサービスの設計に活かせるのではないかと興味を持って藤村氏の著書を読んできた僕であったが、少し立場が変わったこともあって、最近はまた違うことに興味を抱くようになってきている。それは、先日リーン・スタートアップの勉強会について書いたような内容であったりするのだが、つまり、プロダクト開発そのものの話はもとより、プロダクト開発の環境自体をよりよくしていくにはどうしたらいいかという、メタなものであり、それが僕のいまの喫緊の課題である。

そうしたことを、僕は山崎氏・藤村氏の仕事を知りながら「コミュニティデザイン」と関係のあるなにかだとは、不本意ながら結びつけることができていなかったのだったが、以下のような一文を読んで、はっと気付いたのだった(本書p30)。

山崎 学科の方針がまとまらない。先生たちのビジョンが定まらない。先生たちの考えをじっくりヒアリングして、学科の方向性を示し、一丸となって新たな学科の方針に沿った活動が展開できるように、大学の教員になってくれないか、と頼まれました。学科の建物を設計してくれ、と言われたわけではありませんので、ハード整備は伴わないわけですが、やはりコミュニティに関する仕事です。これは僕の仕事だと思ったのでお引き受けしました。したがって、いまは大学の学科のコミュニティデザインも担当しています。

つまり、たとえば社内の開発環境(広い意味での)を整備することも「コミュニティデザイン」の一環として考えると、また違った視点を得られることがわかる。開発者、ディレクタ、マネージャなどなどからなる「コミュニティ」が、バラバラにではなく「一丸となって」目的に向い、コミュニケーションを活性化することで、よりよいプロダクトを作り出すこと。我々が最近取り組んでいる仕事にも、そうした面が少なからずあるということに気付いたのであった。

「コミュニティのアーキテクチャを設計する」こととは、組織というものが、人々のコミュニケーション(コードを書くことも含め)により何事かを成していくものであるからには、どのような分野においても必要なことだろう。著者らの専門である建築設計や「まちづくり」の現場では、より素早い当意即妙な判断が必要になる場面が比較的多いかもしれないが、コミュニケーションそのものを活性化したり、意義ある決定をそこから醸成するための技法は、たとえば「ファシリテーション」などといった一般的な用語に置き換えると、その必要性が理解しやすいだろう。

藤村 ものを売れる営業マンは、ちゃんと話を固められる人で、毎回話をフィックスして、きちんと詰み重ねていけるんだけれども、ダメな人は、言葉が出た瞬間、話がふわっと広がってしまって物事を固められないということを聞いて、なるほどと思ったんです。建築設計では、話をきちんと固められるかどうかがけっこう重要な分かれ目だと思っています。

山崎氏はワークショップの実践において、携帯電話の予測変換のように、ひとの話しを聴きながら次々にその先の一手を思い浮かべ、更新しつつ、当意即妙な回答を出すような思考法を語り、藤村氏は、要素要素の順列組合せの数を提示した後、どれが最良のものであるかを選択していくというスタイルを披露している。そのいずれにしても、多数ある選択肢から、いかに実際の意思決定に議論を導いていくかということであり、問題解決の技法そのものである。その点については、次のような興味深い事例も紹介されている。

山崎 実は「一般意志2.0」のようなやり方を僕らのコミュニティデザインでは既にやっている気がします。ワークショップでは付箋を使って多用な意見を引き出すじゃないですか。それが組み上がって、みんなの意志がはっきりしたように見えるんですが、このやり方はむしろ無意識のほうを重要視しているような気がします。(中略)ワークショップもやり方によっては地域の無意識を顕在化させることができるんです。無数の付箋に多くの意見を書き込んでグループ分けしていくとによって、誰が何を言ったのかは見えなくなり、地域の人たちが無意識的に感じていたことがキーワードとして浮かび上がってくる。

本書p152-153より

Web開発プロセスにおいても、近年ますます広い意味でのワークショップ形式が取り入れられつつあることは、よく知られたことだろう。また、先の僕のエントリで紹介した「リーン・キャンバス」といったツールも、「ふわっと広がった」みなの総意を可視化し、具体的な意思決定に落し込むためのツールであり、要するに思考におけるフレームワークというものはみなそういったものである。

藤村 最近、僕が興味深いのは、やればやるほど、つくることとつくらないことが似てくるということです。本をつくったりワークショップをしたりすることと建築をデザインすることが近づいてくる。結局どちらもコミュニケーションの構造設計をしているんだと気づきました。

本書p204より

本書では「つくらないこと」が多く語られている。正確には、ただ「つくる」ことだけが建築ではないということなのであるが、これはプロダクト開発全般にいえることだろう。たびたび引き合いに出している「リーン・スタートアップ」もそうである。リーン・スタートアップは、人々に「作るな」「作るな」といってまわるやり方だ。これも正確にいえば「仮説検証以上のものを作るな」ということであり、ただ「ふわっと」作ったところで意味がないということでもある。

まとめよう。ものづくりであっても「まちづくり」であっても、人々が集まってなにかしらの問題解決を行う現場(プロダクト開発ももちろん問題解決である)にあっては、「コミュニティ」をよりよく「デザイン(= 設計)」することが重要だ。それは、ひとびとのふわっとした意見を、いかに具体的な、実行可能な意思決定に落とし込むかということであり、そのための方法として、たとえばワークショップなどが行われるわけだ。ただ「つくる」ことのみにとらわれるのでなく、「つくる」ことそのものの環境をまずつくっていくことが必要だ。それは、どのような業界においてもあてはまることだろう。本書を広く読まれたい所以である。

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

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