Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2020年5月22日

午前中は前日の頭痛が微妙に残っていて元気がなく、休み。『ガウス過程と機械学習 (機械学習プロフェッショナルシリーズ)』を読み始める。午後になってようやく回復してきて、仕事をする。夜はご飯を作って食べた後、『[第2版]Python機械学習プログラミング 達人データサイエンティストによる理論と実践 impress top gearシリーズ』を読み始める。

ツイートに書いたのだが、タイムラインに流れてきた深津さんの「多様性と均一性のちがいについて」という記事を 再読。ミクロレベルでの多様性の担保という一見してシチズンシップ的リベラルな態度は、もちろんそれはそれとして必要なのだが、それのみでは長期的には形式的な傾倒に至り、結果として均一性をもたらす逆説を示している。

そうならないために同時に必要なのは、ふたつある。まずは、アイデンティティなりなんなりに基づく連帯による多様な集団が社会全体をまだらに覆っていること。個々人が多様であると同時に、多様な集団が社会を形成しているということだ。ふたつめは、それらの多様な集団たちがいかなるプロセスを通じれば公的な場で機微であり得るトピックについて議論可能かという手続きの構築。ある種の話題を単に抑圧するだけは、多様性の擁護のつもりが均一性を招くだけになるだろう。

昨今の、ひとびとの単調なポリコレ的な動きに対してずっと違和感をもっていたのだが(『「差別はいけない」とみんないうけれど。』などを読んだりもしていたようなトピック)、ああ自分はこういうことを直感していてそういう感覚だったのだなと自覚できて、ありがたいエントリだった。