Kentaro Kuribayashi's blog

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『宮台真司・愛のキャラバン』 #愛キャラ

宮台真司・愛のキャラバン――恋愛砂漠を生き延びるための、たったひとつの方法

宮台真司・愛のキャラバン――恋愛砂漠を生き延びるための、たったひとつの方法

久々に宮台真司さんの本を読んだ。本書は、宮台さんをはじめ、ナンパカメラマンの鈴木陽司さん、カリスマナンパ師として知られる高石宏輔さん・公家シンジさん(はてなユーザにはid:qqilleとして有名)の4人による鼎談イベントを書籍化したもの。なぜナンパをするのか、どのようにするのか、ナンパを通して得られるものなど、宮台さんの語りを軸に、いろいろな話がされていて、単純に読み物としてとても面白い。とはいえ、ナンパそれ自体について語るべきことは僕にはないので、自分の関心を通して感想を書く。

ナンパの「極意」として、本書では繰り返し「変性意識状態」というフレーズが登場する。高石氏による、会場で実際に行われたパフォーマンスに見られるように、催眠術への導入や、あるいは瞑想をしている際に得られるような精神状態がそれだろう。日頃、自らをとらえている常識などの雑念をいったん留保して、頭を空っぽにし、感受性が外部に対して最大限開かれた、精神的・身体的に非常にリラックスした状態。ナンパ師たちは訓練によって、自由自在にその状態に入ることができる。

女性にナンパをしかけて上手くいくためには、相手をいかに素早くその「変性意識状態」に没入させられるか、そのためには自らがそういう状態にあることで、熱量をぶつけることが重要である旨が語られ、また、ドキュメンタリーという体でそれを実践してみせてくれるのは、なかなかそういう機会に縁がない身としては、単純に面白いものだ。

ところで、僕としては、さしあたってナンパをしたりすることはないだろうけど、「変性意識状態」とう言葉はよくわかる感じがする。というか、実際に最近そのような状態を数多く体験している。それはどういうことかというと、会社での勉強会やワークショップ、その他様々なファシリテーションの現場においてだ。たとえば僕(と同僚の@hsbtさん)は、この1年、ブログに書いているだけでも以下のような活動を行ってきた。

こうした活動の中で、いつも事後に「ふりかえり」をして話題になるのは、「今日はよかった(だめだった)」という話で、よかったならよかったなりに、だめだったらだめだったなりに、次にもっとよくするにはどうしたらいいのだろうという話をする。上記の活動は、それぞれがそれ一度きりではなく、社内で何度か行うわけだが、同じ出し物でも、よくできることもあればだめな時もある。それはまさに「ライブ」としかいいようがない場当たり的な話で、もちろん回を重ねるごとによくなっていく実感はあるものの、基本的にはでたとこ勝負という感じだ。

それぞれの結果のよしあしにかかわらず、ポイントは我々と受講者側のお互いが「変性意識状態」に入れたか否かに関わってくると思う。調子のいい時は、最初から舌も回り、聞いている人々もよく反応し、いい感じに場が盛り上がっているように感じられるし、うまくいかない時は、何をやってもだめだし、そもそも何かをして挽回しようという気にもならなかったりする。回数を重ねるごとにある程度技量が伸びてくるので、力を入れるべき加減もわかってはくるのだが、先に述べた通り、その場その場の流れとか雰囲気に大きく依存するものであることには変わらない。

いまでこそ、前述の@hsbtさんといっしょになって、同僚たちとはいえ大勢の前で場をしきって会合を行うということを普通にやってはいるものの、元々そのようなことをずっとやってきたわけではなかった。むしろ、そういうひと前に立つことを進んでやるようなタイプの人間ではなかったはずだ。それが、まあやってみたら時々バランスを崩すことはあるものの、それなりにはできている。なぜか。まさに、宮台さんの本をそれまでたくさん読んできたからという面が少なからずあるんだろうなあと思う。

とはいえ、ここで終わってしまうと「意識を高めて「変性意識状態」を作り出し、仕事をバリバリこなそう!!1」みたいな自己啓発的不毛に陥ってしまう。この点は本書でも再三語られているところだ。実際、宮台さん自らも最初は、自意識にどう向き合うかという、それ自体で完結してしまえば単なる不毛でしかない「自己啓発」という文脈からナンパ師への道筋を辿っていることは、本書のみならず様々な場所で語られている。しかし重要なのは以下のような発言である。

高石 僕のところには、童貞の子が「ナンパを教えてください」と言ってくるんですね。こっちとしては、「初めは誰とでもいいからセックスしてくれ」って感じなんですけど、そういう子にかぎって「(女の子が)かわいくないから」と言って、声かけという最初の一歩を踏み出すことに躊躇していまう。

だからそのタイミングでは「数を稼ぐ」という自意識的なものもある種、必要になるんですね。その上で、彼が数を稼いで自信をつけたときに、いつでもすぐにそれが「下らない」と思ってやめられる土壌も必要で、だから僕が「数を稼ごうという自意識は下らないけど、少なくとも今のキミには必要だ」というかたちで伝えていかなきゃいけないな、というふうには思っています。

宮台 そう思います。「自己啓発としてのナンパ」から「世界ワンダーランド化のためのナンパ」へ、という二段階のステージが、今は必要なんだと思います。ただ、世のナンパ塾やナンパマニュアルが、結果的に第一段階に留まりがちなことが、僕は不満なんです。

「変性意識状態」を、散発的に発揮する他ない、単に個人の技能的なレベルに落としてしまうことは、「数を稼いで自信をつけ」ることには大いに役立つだろうが、本書で語られるようなナンパはもとより、たとえば上述したような「仕事」のレベルにおいても、超えるべきステージである。そのためには「世界をワンダーランド化すること」が必要で、こういうと話がとたんに小さくなるような感じはするけれども、以下のふたつがある。

  1. 仕事そのものを楽しく感じ取れるよう、主観的な技術を鍛える
  2. 個人の「変性意識状態」を継続的に喚起するよう、組織を作り変える

「自己啓発」はエナジードリンクと同じで、その場その場ではテンションが上がることもあるだろうが、それが継続しなければ単に中毒になる他なく、本質的には何も解決しない(もちろん、ナンパにおけるそれのように、無駄な自意識を排除できるという効能はあるかもしれないにしても)。我々は、「世界をワンダーランド化する」ために、上記2点において変化を起こしていかなければならない。

1については、今年6月23日の文化系トークラジオ Lifeで紹介されていた例が面白かった。たとえばコピー取りという仕事は、端的にいってつまらない単純労働だが、考えようによってはクリエイティブになり得る。その仕事には以下の3つのステージがある。

  1. (初級) 単にコピー機を使える状態
  2. (中級) 最初の1枚目を刷って、刷り具合を確かめてから全部をコピーする
  3. (上級) コピーを依頼された文書に興味を持ち、会社内でどのようなことが行われているのか、場合によっては文書に対する訂正も行える

こう考えると、どんな仕事にでも面白さを見出す(ワンダーランド化する)余地はあるだろうし、実際そのように仕事をやっていけるとよいだろうとも思えるわけだが、その一方で、いかにそのような技術が継続的に、かつ、発展的に行われたところで、エナジードリンク的中毒からは抜け出せたとしても、それはそれで「意識高い」系の罠から抜け出せないよなあとも思うわけだ。個人の問題として、眼前の仕事をよい方に異化するのは処世術としてはよかろうけれども、「社会」の問題にはたどりつけない。

そこで我々は、個人の水準においては(1)的「ライフハック」を前提としつつも、「社会」(ここではいわゆる「組織」にあたるわけだけれども)の水準においては(2)の方策をとる。それは、具体的には硬くいえば「組織論」というような分野の話になり、先日『失敗の本質』についての感想エントリにも書いたようなことである。いかにして、個人の資質や努力のみに頼ることなく、全体として「変性意識状態」を恒常的に調達可能な働き方を構築していくかということに、ここのところは関心を抱いているわけだ。

まとめよう。ナンパにおいては本書のいう通りだが、もっと一般的に、たとえば仕事という文脈においても「変性意識状態」は重要である。仕事がコミュニケーションにより成り立つものである以上、自他の意識状態を自在にコントロールし、それをもって円滑な業務遂行につなげることは可能であるし、必要なことでもある。ただ、それが単なる「意識の高い」「ライフハック」的な、個人の水準に留まるものであっては、「自己啓発」と代わるところがない。そのため、事は必然的に「社会」(組織)の水準における変化に行為の地平を定めることになるだろうし、現にそうしているということだ。

だから、本書では「ナンパ」という言葉を使っていても、それは巷にありがちな「セックスまで」の<前半プロセス>だけではなく、「セックス以降」という<後半プロセス>をも含んでいる。それどころか、僕の関心は、専らそこにだけ集中している。本書を読もうと思われる大くの方々の関心も、そこにあるだろうと、僕は信じている。

ここでいう「後半プロセス」こそが、個人の水準を超えた「社会」における「変性意識状態」の調達を可能にするプロセス、組織構造をいかに実現するかという、僕自身の問題意識でもある。本エントリでは、ナンパそれ自体についてはまったく言及することなく自分の関心にのみ引き付けてあれこれと書いてきたが、かようにそれは、本書が「ナンパ」それ自体に留まることなく、広く一般的な視座を開いてくれるような議論を展開している証左だろうと思う。あと、いろいろ書いてきたけど、僕自身は「ナンパとか無理だなー」とか思うので、すごいなーと感嘆するばかりだ(笑)