Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2018年4月17日

終業後、送別会。

個人的なメイプルソープ再評価ということで、1992年に東京都庭園美術館で行われたメイプルソープ展の図録を、Flyng Booksで購入。メイプルソープの写真集が、税関でとめられるという事件もあったりした時代。性器が大写しに写っているような作品は当然ないのだけど、それはともかくとして、代表的な作品やカテゴリは網羅されていて、一定のクオリティを示した回顧展だったのだろうと思える。いろんなタイプの好きな写真があるが、メイプルソープのような完璧さがいまは気持ちいい。

浅田彰氏は、メイプルソープは下賤とされる者と高貴な者とを転倒させるために古典的なまでに完璧な構図を用いたと述べ、それはその通りだと思うが、それに加えて単純に、数ミリ動かしただけで崩れてしまう均衡への偏愛があるのだろう。ヴォルフガング・ティルマンスの抽象写真のような、単に抽象的なものを写したものとは異なり、ロバート・メイプルソープの、完璧すぎるがゆえに、いまにも崩れ落ちんとごくごく微細にうちふるえる均衡は、「美しさ」そのものを表象する、真に抽象的な写真である

とするのは、非歴史的な相対化が過ぎる評言との誹りを免れなかろうとは思うけれども、現在の感受性が作品そのものに対峙した時、そのように感じることこそがむしろ、メイプルソープの可能性の中心であろう。無論、歴史的には転覆の構図と観るのが妥当であろうとはいえ、彼の死後30年近くが過ぎ、端的な美しさを、それのみをメイプルソープの写真に見いだすことは、非歴史的であるというよりは、単純に感受性の進歩として称揚してよかろうことだと思う。

WALL DECORがどんな感じか、試しにプリントを注文してみたSeascapeシリーズの一枚が届いた。