Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2019年10月27日

朝、いちど用を足しにベッドから出てまた寝入ったら、起きると正午過ぎだった。 Kを見送って、しばらく『イメージを逆撫でする: 写真論講義 理論編』の続きを読む。

髪の毛が伸びてきたので、バリカン。あんまり伸ばさずにいつも同じ長さでシュッとした感じを維持したいので毎週バリカンするべきなのだが、なかなか習慣化しないままである。こういうのはなんかきっかけ(アンカー)を決めておかないとなあと思う。何にしようかなあ。

習慣化といえば、昨日、こういうことを考えた。やるべきことが決まっていて、あとはひたすらやるだけみたいなことについては、

  1. 反復によるスピードアップ
  2. 仕組み化による効率アップ
  3. 時間管理による集中力アップ

という3点を整備していけばいいいいのではないかと思う。これは、個人についても組織についても同じ考え方が適用できるだろう。また、やるべきことが決まっていなくて、新しくアイディアを出さなければならないというようなことでも、考える時間をその3点に従って作って行けばうまく行くように思える。とかいいつつちゃんとやらないからうまくいかないのだが。

恵比寿へ行き、モフームへ寄ってみたら貸し切りだったので、シーシャ難民に(もう一つの店舗は先日行ったので行く気がしなかった)。シーシャはまあいいかと思い、代官山蔦屋へ行く。途中、ヒルサイドフォーラムで第63回CWAJ現代版画展という催しが行われていたのでのぞいてみた。展示されている作品にはあまり興味をもてなかったが、目の見えないひとのアート鑑賞のために、版画をシンプルにしたものを版木のようにでこぼこした特殊なプリントをほどこしたものを展示しているコーナーがあり、そちらに興味を惹かれた。伊藤亜紗さんがテーマとしているようなあたり。

代官山蔦屋を一通りみてまわったが何も買わず、どうしようかなーと迷った結果、代官山駅から自由が丘へ。「ハディーカ」へ行く。シーシャを吸いつつ、写真論本の続き。ひたすら読んで、読了。非常に勉強になったなあ。国際的にモダンアートと同様の文脈で語られる現代写真についての理論をほとんど知らずにいたのだなあと、まさに蒙きを啓かれた思いがする。紹介されている理論家の本を、少しずつでも読んでいきたいと思う。実例編の刊行も予定されており、そちらも楽しみ。

普通には元気なのだけど、ちょっと動いたりすると疲労しやすいというのがここしばらく続いていて、健康面の問題というよりは、減量のために単にあんまり食べてないせいなのだが、ジビエをたくさん食べまくたら元気になるんじゃないか?とおもっていたところ、シーシャカフェの隣に大きく「ジビエ」という幟があり、カフェを出た後に入ってみた。そこで、エゾシカのカルパッチョ、馬のモツ煮、猪のローストと食べまくった。お腹いっぱい。なんか元気がでてきた気もするので、明日からジムを再開するかなあ。

食べながら、「バンクーバーの現代写真: フォトコンセプチュアリズム、ポストコンセプチュアルフォトとその後 Contemporary photography in Vancouver : Dog Mountain Report _ aki kusumoto」、MoMAで1974年に開催されたNew Japanese Photographyの図録、「第12回  クロニクルズ(前編)|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま」、「第14回  志賀理江子の写真が、問い続けること|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま」を読む。特に、New Japanese Photographyの同時代性に感銘を覚える。

帰宅して、『フランス語の余白に』のLeçon 1の続きをノートに書き写す。活用は、書き写したはしから忘れていくという感じがする。というか、実際に忘れており、帰ってきたKにノートから問題を出してもらうと、さっき写したばかりなのに、ところどころ怪しい。まあ、継続していけば憶えていくだろうということを期待してやっていこう。ノートに文字を書くのは、もはやペンで字を書くということをほぼしなくなって20年近く経つので、字が汚くてやな感じ。せっかくなので、字をできるだけちゃんと書くことも意識したい。