Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2020年5月9日

朝、9時20分から講義(「IoT・AIイノベーション特論」)。この講義は、外部の講師を招いて、研究や実務の最新事例について話してもらうというもの。今日の講師は2人。ひとりは旧東芝メモリでいまのキオクシアの方。今月の人工知能学会誌の特集になっている、AIで手塚治虫の新作を作ろうというプロジェクトを取りまとめている方で、とてもタイムリー。その話も後半にあって面白かったのだが、大規模なメモリ工場での歩留まりを改善するためのデータ解析に関する話が非常に面白い。生産プロセスの改善がコスト削減に大きく効いてくる大企業と比べて、我々の業界は生産プロセス(というのがあるのかどうかわからないが)にはそれほど注意を払っていないと感じる。むしろ、付加価値創造プロセスやサービス運用プロセスの方に注意が向いていると思う。それはビジネスモデルの違いによるものなのだが、あらためて面白さを感じる。

2人目の方は物質・材料研究機構の方。マテリアルインフォマティクスの専門家で、ある種の物性を持つ物質を機械学習を用いて見つけ出していこうということをしており、そういう分野や製薬において機械学習が大いに活用されているというのはなんとなく目にしてはいたのだが、詳しい話を聴くのが初めてだったので、極めて面白い(とはいえ、物理・化学的な詳細はさっぱりわからないのだけど)。また、計算的によい分子構造が見つかったとしても、実際にどう合成すればそれができるのかがわからなくてボツになるという話もあり、やはりそういう場でもエンジニアリングが重要なのだなあと思う。材料科学のデータベースを共有化していくことで強みを作れるはずという話も語られており、どの分野も同じような話があるのだなあとも思う。

自分は研究がしたいんであって、授業を受けたいわけではあんまりないと思っていたのだが、受けてみるとそれはそれでめちゃ面白い。特に、違う業界のひとの話を聴くと、自分の視野の狭さを強烈に自覚できて、とてもよい。これは研究室でのやりとりでもそう思うのだけど。そんなわけで、授業もちゃんとやっていきたいと思う。というとなんかやる気ないみたいだけどそういうことではなくて、社会人学生的にはまずは学位を効率的に取得することを優先すべきだと思っているからというのと、目的は研究スキルの向上だからというのもある(基礎学力がないとだめというのはもちろんあるけど)。いろんなひとの話を聴いて、取り入れて、自分の考えをもっと大きくしていきたい。

昼食を作って食べた後、さっそく今日の課題レポート書き。2人の話それぞれについて課題があり、A4一枚程度でレポートを書く必要がある。毎回授業が終わるたびにレポート書くのしんど過ぎじゃない?と思ってSlackで聴いたら、今日の講義のような散発であるタイプのものはそんな感じだけど、連続してあるような講義の場合は最後にまとめてレポートがあったり、プレゼンしたりというアウトプットになるということだった。まあそれはそれでけっこう大変なんだろうけど。というわけで、1時間少しかけて、A4で2枚分のレポートをさっと書いた。宿題を残しているとどんどんつらくなりそうだから、できるだけ時間を空けずに片付けていくスタイルでいかねば(と思いつつ、だんだんたまっていきそうだけど……)。

スーパーに買い物に行ったら、良さそうなラム肉が安く売られていたので買う。それを用いて、キャベツやもやしなどと蒸し煮にして、ジンギスカンもどきを作って食べる。わりと美味しい。食べながら、NHKプラスで「NHKスペシャル | ダビンチ・ミステリー第2集 “万能の天才”の謎〜最新AIが明かす実像〜」を觀る。レオナルドの残した手稿から単語間の関係を時系列で解析して、分野や年齢という切り口で、どういうつながりで発想していたのかを分析するという取り組みを紹介していて、めちゃくちゃ面白い。それにしても、レオナルドの圧倒的な生産性にあらためて心を打たれた。

暦本純一さんが紹介していたのを見て知った『梅棹忠夫の「人類の未来」 暗黒のかなたの光明』を読む。梅棹忠夫については書籍や伝記、「太陽」の特集などあれこれ読んではいるのだが、やっぱりあらためてこういう感じの巨大さというものを折に触れて思い出していく必要があるよあなどという気持ちになる。梅棹忠夫が文明と情報産業について考えていたことをいまの時代に考えるとしたら、自分の研究についても、ある特定の課題だけをみるのではなく、サイバースペースの文明史観のようなことを考えて行く必要があるのではないだろうか?しかしそれってどんなものなのだろうかなどと思う。