Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

人間にタグ付けすること、あるいは SNS に folksonomy を導入する

nazoking さんの「信用・人をタグ付けする」というエントリを読んで思ったことをば、ちと述べます。

ちょっといろいろ考えていることがあるんですが、一言で言うと「ブックマーク登録する人をタグ付けすれば?」とうこと。

例えばAさんBさんCさんがいて、読書関係の情報を得たいときはAさんのブックマークした情報を特に重視して検索、Cさんはスパマーだから常に検索対象からはずす、とか。

(中略)

される方は気持ちの良いものではないですけど。

nazonoDiary(日々うろおぼえ記) - 信用・人をタグ付けする

これは、folksonomy の前提とされるタグ付けが、簡単にいえばあまりにもあやふやなので心許ないからどうにかしよう、んじゃ、タグ付けるひとをタグ付けしようというお話です。僕が連想したのはちょっと方向性が異なっていて、タグ付けするひとをタグ付けすることが可能であるという発想があり得るならば、そもそもひとに対してタグ付けすることも可能であり得るでしょ? ってことで、つまり、Web ページも人間もリソースであることには変わりないじゃん的発想に立てば、たとえば SNS 内のひととひととの関係性が大きく変わります。

SNS 内でひとを探すとき、たとえば mixi であれば性別・年齢・住所・名前等、つまりはそのひとが自己申告しているプロフィルで検索することになります。これは、一般の Web ページでいえば、meta タグでキーワードや概要を指定していたり、あるいは本文の内容やそこに含まれる単語等がそのリソースがどのようなものであるかを表しているということとだいたい同じようなことで、SNS だと各項目が決まっていてそれなりに意味づけがされているので Google で適当に検索するのとはちょっと違いますが、まぁだいたい同じようなものです。なぜかというと、システムが提供するセマンティクスと、そのひと自身、つまりリソースの自己申告によってしかリソースを検索することができないからです。

folksonomy は、リソースとその享受者との関係を逆転させる試みです。享受者は、自らの知識・選択・利便に従い、リソースの意味を規定します。しかしそれだけでは十分ではなく、その規定はあるコミュニティ内で広くオープンに共有されることが必要です。なぜなら、共有され、利便性が高まることを期待する人々の行動によって、規定の質が高まり、リソースに対する意味付けがより強固なものとして確定していくからです。つまり、いい加減なタグを付けるものは共有されるリソース規定の恩恵を得ることができず、それを避けるためにそれなりに周囲を調査し、妥当な規定を行っていくであろうことが期待されるということです。そのため、明確な意味付けを可能にするかもしれない folksonomy は、検索にとって大きなパラダイムシフトをもたらし得るともいわれるわけです。

SNSfolksonomy を導入することのメリットとは何か。先に述べたとおり、SNS の提供するひとに対する情報というのは、実のところは、役に立つようなものではありません。繰り返しになりますが、あるリソースの意味を規定するには、その意味の共有が必要であるという folksonomy 的視点に立ってみれば、システムの提供するセマンティクスや自己申告など役には立たないのです。実際の生活においてひとを判断する場合、そのひとの自己申告ももちろん大切ですが、たとえば「あいつは Perl について誰にも負けないぐらい詳しい」といった情報を頼りに判断するわけです。そんなことなら趣味欄とか作ってやればいいじゃないかという感じですが、じゃぁもっと下世話に「可愛い女の子(あるいは、かっこいい男の子)」を探すということを考えると(例えが最悪ですが)いわんとすることが理解しやすいと思います。

orkut が流行し出したとき、おおむね賞賛を以て迎えられた中で、ひとつだけ微妙な評価を以て受け止められた機能がありました。それは、自分の友人リストにいる友人に対して「ファン」「クール」「セクシー」といった評価を行うことができる、また、その評価の集計結果が(それを行ったのが誰かはわからないものの)そのひとのプロフィールページに記載されるというものでした。ここで僕が述べたのは、いってみればそれをさらに殺伐化させるようなお話です。たとえば mixi がそういった機能を導入することはないでしょう。そこで、mixi のラッパーというか Decorator というか、そういった形で mixi + folksonomy というサービスを作ってみようと、ちょっと前に思いついたこともありました。実際にそんなことをしたら、おそらく速攻でアカウントを削除されるだろうからやりませんが…。ともあれ、やや人情に欠けるように感じられるかもしれませんが、Web ページと同じく人間だってリソースであるからにはタグ付けし得るという発想に立てば、あるいは SNS という仕組み、もっといえば Web の持つ機能をさらに高めることが可能になるかもしれない、などと妄想をふくらませたりしたのでした。

そして、ひとをタグ付けしたりするとどうせ先に述べたような最悪な例(「可愛い女の子(あるいは、かっこいい男の子)」)なんてのばかりが目立ってしまい、ひとをタグ付けするひとをタグ付けしよう的な話しになってきて……あー、堂々巡り(w