Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2016年4月20日

ピーターの法則という言葉がある。詳しくはWikipediaの記事を読むとよいだろう(最初の要約だけじゃなく、最後まで。また、諧謔的な話としてではなく、一般論として読むのがよいだろう)。学問的な実証としてはともかく、直感的にはそのようなことは普通にありそうに思われる。また、仕事とは、自らをその法則があてはまる状態に追い込むものであるともいえる。

出世という言葉にとらわれるとよくわからなくなるのだが、自分の仕事を効率化・高度化させていった結果、いつの間にか自分の能力を超える状況が生まれてしまう、というのは、悲劇的でもあるが、仕事の成果としては最高であり得るだろう。わかりやすく言えば、すごく優秀な人工知能を作ったらそいつが代わりにやってくれるので自分の仕事がなくなってしまったみたいなことになるのは、ある意味では人類の夢でもあろうと思う。

自分のこととして考えてみると、これまで自分ではやったことのない方向に組織能力を高度化させつつある。そうなると、近い将来のある時点において確実に、少なくともいまの自分の能力ではまったく隔絶してついていくことができない状況になるわけだが、その状況を自ら作り出そうとしているし、それが自分の仕事でもある。そして、そういうことこそが「仕事」というのだろうと思う。

自分がいまできることややりたいことではなく、本当にやるべきことを、その結果として自分がピーターの法則的な状況に陥ることになるかもしれないとしてもやらなければならない。もちろん、そのこと自体が自分の成長をドライブするのだろうけれども、現時点ではそれはわからない、すなわち僕のような者は用済みになる可能性だっておおいにあるのだが、それはそれとしてやるしかないという仕事。そういうことをしたいものだ。