Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2018年の抱負

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年については以下のエントリでふりかえったので、ここでは今年の抱負を述べます。

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方針

まず全体の方針を述べると、自分が将来的にどうありたいかを見定め、そこに向かって着実に近づけるような行動を、できる限りの瞬間々々において採り続けていく必要があろうかと思っている。「将来的にどうありたいか」というのは、公的・私的の両面があり得るが、私的な面については語るべきほどのことはない。

公的な面について、中でも職業的な面については取締役就任時のエントリに書いた通り。その見据えにおいて、現在のわたくしはいろいろな意味において劣っているのは明白で、ギャップをつぶさに分析し、埋められるよう努めていく必要があろうかと思う。

仕事

ひとことでいえば、職務上の結果を出すということなのだが、当たり前すぎて、そう述べることによっては何の情報もたされないので、もう少し書く。

方針にある見据えに従えば、現状のわたくしは、成果については言うに及ばず、思考も知識も行動も、そのいずれにおいても、あるべき姿からは著しく劣っている。その状況を打開するためには、昨年に引き続き「ポジションを矮小化しない」(©三枝匡)ことに努めるとともに、自分の枠を他者との交通によって広げるような活動をしていかないとならないだろうと思う。

技術

方針にある見据えに従い、次の10年で当たり前になってくる技術について、主導していくような動きをする必要があるだろう。

過去の10年をふりかえった時、それはちょうどiPhoneがリリースされて以降の10年なのだが、大きなスケールに寄与した技術はやはりスマートフォンであった。次の10年についてそれがなんであるかの候補はあれこれと挙げられるが、個々についてはともかく、主観的に選り好みすることなく、かつ、現状の経路依存に過度にとらわれることなく、幅広く見ていきたい。

学習

これもまた、方針にある見据えに従ってやっていくことになるのだが、そこからのギャップを考えた時に、自分に欠けているのはやはり広い意味での教養であるということに尽きるだろうと思う。単純にあれこれの経験が不足しているということもあるが、それは仕事における活動を通して得ていく必要がある。

物理的に見えていても、実際には何も見えていないということがある。いくら立派なものを見ても、歴史や文化を知らなければ、何も見ていないのと同じだ。自己修養という意味のみでなく、職業的な目標とのギャップを埋めるためにも、そのような教養が必要だろうと思う。

生活

個人的な生活について特に目標とするところはあまりないのだが、そういうのも持てるようにするほうがいいのかもしれないというのが悩みといえばいえるかもしれない。

昨年は、40代に入って初めて1年を通して過ごしたのだったが、30代後半からの体力低下をますます感じることが多かった。そのため、対策として運動の習慣を身に着けようとしたのだが、いまも身につかないままである。まずはその点について、あらためてきちんとやっていきたい。