Kentaro Kuribayashi's blog

Software Engineering, Management, Books, and Daily Journal.

2020年5月4日

今日もひたすら論文などを読む。その課程で、Google Scholarでひっかかったある論文を読んでたら、ジャーナルに採録されたものだとあるのだが、内容がなんというかあまりにもアレなので「なんだこれは?」と思ってそのジャーナルの名前でググったらいろいろな評判が出てきて、これが噂のそういうアレなのかという気持ちになった。そういうのはGoogle側で弾いておいてほしいよなあとも思うが、そうもいかないのかもしれない。

あれこれ考えて、やっぱり全体としては以前ツイートしたことに包含されるよなあと思って、ツイートをScrapboxのページに修正の上で転記した(「環境問題としてのセキュリティ - 栗林健太郎のScrapbox」)。こういうことを考えたいみたいなのはいろいろあるのだが、そのどこにフォーカスするかというのが課題だなあ。

思えば、自分はある特定のなにかというのにはなりたくない気持ちが強い。「〜といえば〜なひと」という専門性に憧れがある一方で、そういう限定を付されるような状況にありたくないという気持ちもある。たとえば、ある作品シリーズを何十年も作り続けているひとに対して敬意を持つ一方で、自分はそういう生き方をしたいとは思わない、みたいな。しかし、いま自分がやろうとしていることはこれまでの自分が苦手としていたことをやろうということであるのだよなあ。

研究の進め方をルーティン化しようと思っていたのだった(というのをいま書いていて思い出した)。週次で目標を立ててレビューをし、ふりかえる。読んだ論文ややった実装、取り組んだこともろもろも記録しておく。上であれこれ書いたけど、結局そういうのって自分の気持ちの問題というよりは、単純に継続性の問題なのかもとも思う。つまり、誰にでもあるような継続性の不足を「認知的不協和」的に正当化するために、なにものかになんてなりたくないんだ!と思っている、みたいな。だから、なにかひとつを継続することができれば変わるようなことなのかも。

夜、「湯村氏博士号取得記念パーティ in cluster」に参加する。博士後期課程進学以降の取り組みについてスライドを用いてお話していて、とても勉強になったし、自分もこういうことをやっていきたいなあと思った。その後、彼の博論に目を通したのだが、めちゃくちゃ面白いし自分のやりたいこととも近いところがあって、こういうのを書けるようになりたいものだなあと思う。

その後もさらに論文読み。からのRFCを読んだり、関連論文をさらに読んだり。