Kentaro Kuribayashi's blog

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老害について

老害とは、ある集団の中で相対的に年齢や立場が上位にある者が、経験に基づく判断にのみ過度な信を置くことにより発生する弊害のことです。わかりやすくいうと、年齢を重ねることにより頭が悪くなって、抽象的・論理的思考ができなくなり、経験的にしか物事を判断できなくなってしまうということです。

具体的にそれは、純粋なスペック的な意味での能力だとか頭のよさ、瞬発力、発想の柔軟さ、考えの実直さなど、若いひとが主に持つ特質に敬意を払えないという症状として現れます。そこで勝負すると必ず負けるという無意識による、防衛反応です。

経験は、よい判断にとって重要なことではあります。しかしそれは、どんなひとでも、ただ生きているだけで増えていきます。もちろん、その量や質にそのひとの人生が反映されるわけですが、ま、ひとひとりの人生なんてたいしたものではありません。

また、経験に基づく判断は、反証不可能です。正確には、経験に基づく判断が、反証可能な形で示されることはありません。そのような判断に対しては、受け入れるか拒絶するかのどちらかを採るしかなく、議論によって判断を深めることができません。

なぜ老害という現象が起こるのでしょう。一般に、ひとは年齢を重ねると、

  1. 脳のスペック的な意味での思考力が衰える
  2. 社会的責任が増えてくるので、判断速度をあげなければならなくなる

1については、これはもうしかたがないことです。ただひとは、年齢を重ねて脳が弱くなるのを、経験に基づく直感によって補う。それが歳をとることのよさでもあるし、成長ともいうのでしょう。

また、年齢を重ね、関わるひとや物事が増えるとともに責任が増え、年々判断すべきことも増えていきます。そうすると、ひとつのことに対してじっくり取り組んで、熟慮を重ねるというのも難しくなってきます。経験に基づく直感によって、判断速度をあげなければなりません。

そのようなこともあって、ひとは老害へと傾いていくわけです。そしてそれは、単に悪いことであるとばかりはいえません。それはそれで、年齢を重ねるという変化への対応であるわけです。ただ、だからといって考えるのをやめ、経験的判断のみに頼るのは単なる退廃です。

どうすれば老害に陥ることを防げるのでしょうか。たとえば以下のような取り組みが役立つかもしれません。

  1. 経験的判断を、議論可能な要素に分解する。言語化する。
  2. 他者の経験・思考に興味を持つ。触れる
  3. 常に苦手な分野に取り組み、克服する。

1について、先述の通り、経験に基づく直感的な判断には、速度の面でメリットもあるわけです。なので、それを反証不可能な形でしか提示できないことに問題があります。よりよい判断のために、それをできるだけ分解し、言語化することで、他者にとっても役立つものになるし、思考の訓練にもなるでしょう。

ひとは誰しも、自分の経験や直覚に大いに信を置くものです。それらがそのひとを形作ってきたのだから、当然のことではあります。しかしそれが、年齢を重ねたからこその他者を容れる懐の深さにつながらないなら、単なる硬直です。小説や哲学、ドキュメンタリ、数学などに親しみ、他者の、直感の及ばない経験・思考に触れることで、寛容さを養いたいところです。

最後に、経験を積み重ね、得意なものをより得意にすることで自己の強みとすることは、それはそれで重要ではありますが、安易なことでもあります。常に苦手分野に取り組み、自らが最弱となる場所(物理的なそれに限らず)を探し、克服を図ることこそが、老害予防の最たるものではないでしょうか。